
学生時代からのカトリック信徒で、科学史家、科学哲学者の著者が、自身の信仰を踏まえながら、宗教と科学や宗教と国家など今日的な課題を論じている。
神による創造神話のキリスト教文化圏で近代科学が発達し、西欧的近代化が世界的に拡大したことは自明だが、近年、その人間中心主義が地球規模の自然破壊をもたらしたとの自己批判が起きている。他方、全てのものはおのずから「成った」という創世神話があり、人間も自然の一部という、神道でいう「惟神(かんながら)の道」の国に生まれ育ち、それが「背骨のようにある」という著者は、別の視点からその問題を見ている。
人と自然は対等とする思想は、聖フランチェスコが13世紀初めに唱えており、行き過ぎた人間中心主義への反省は古くからある。その根底に対象への「無償の愛」があることから、惟神の道も人間に接する自然界すべてへの「愛」と読み替えることが可能で、著者がカトリック信徒にとどまる一つの基盤は「眼にするすべてのものへの、『愛』の心を『信じ』たい、というところにあるような気もする」と。信仰の根底にあるのは愛だ。
宗教の最重要な社会的機能については、生物の欲望の源泉である「本能」に、本来あるはずの抑制機構を破壊してしまった人間が、その回復を託したのが宗教だった、とする。複雑な人間関係によって成り立つ社会を、共生を旨とし、抑制力のある宗教性が支えていたのである。今、私たちが世界的に直面している事態は、脱宗教化が進む近代市民社会の不安な行く末である。
一方、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルとパレスチナとの対立などの背景に宗教問題があるのも事実で、宗教が対立を超えられるのかも問われている。知の世界を極めたような著者が「普遍的」を意味するカトリックに心を寄せる理由もそこにあるのだろう。
多田則明
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