トップ文化書評『瀬戸内海国立公園の父 小西 和』山本一伸著 日本人の目を海に向けさせた【書評】

『瀬戸内海国立公園の父 小西 和』山本一伸著 日本人の目を海に向けさせた【書評】

『瀬戸内海国立公園の父 小西 和』山本一伸著  青文舎 定価2420円

瀬戸内海国立公園は昭和9年に日本で初めて国立公園に指定された。当初は備讃瀬戸(香川・岡山県間の海域)に点在する島々とそれを望む陸地だったが、その後、明石・紀淡・鳴門・関門・豊予の5海峡に囲まれた1府10県に拡大され、日本最大の国立公園となる。それを強力に推し進めたのが香川県出身の政治家で立憲民政党幹事の小西和(かなう)で、朝日新聞記者時代に著した『瀬戸内海論』から23年後だった。本書は小西の評伝で、著者は小西が生まれたさぬき市の学芸員。

明治6年、さぬき市長尾の農家に生まれた小西は、岡山尋常中学校を経て札幌農学校に入り、学生時代に今の岩見沢市に国有林の払い下げを受けて明治26年に小西農場を開き、家族と移住者を呼び寄せている。4年生で退学し農場経営に専心、酒造やみそ、精米、郵便にも手を出したが、経営難から明治34年に売却し、東京市の臨時雇いとなる。

文筆が好きで絵も得意だった小西は朝日新聞の村山龍平社長に入社依頼の手紙を出し、面接の結果、学芸記者として採用された。科学を学んだ小西は自筆の天気図を掲載するなどの発想で人気を得、日露戦争の従軍記者になった。このあたり、隣県の正岡子規に似て、後に、軍の記者扱いの不当さを糾弾したのも同じ。

小西が瀬戸内海論を書く気になったのは、2年間に及ぶ中国の無味乾燥な風景から、関門海峡に入った途端、山紫水明の光景に感動したのがきっかけ。それまで日本人の風景への関心は山が主だったが、海外から海の美しさを指摘する報にも接していた。持ち前の研究熱心さで1000㌻の大著を、6年かけ書き上げた。

39歳で国会議員になった小西は、農林政務次官や立憲民政党の院外総務などの要職を務めながら、瀬戸内海を国立公園にする運動を始めた。これに札幌農学校関係の学者も応援する。再放送されているNHKの「坂の上の雲」の主人公らのように、未来に希望のみを見て駆け上がる群像の一人が小西であった。

多田則明

青文舎 定価2420円

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