評者が農業を営む香川県では毎年6月15日、空海の誕生日に合わせて満濃池(まんのういけ)のゆる抜きが行われる。8世紀に讃岐国司が築造したが、たびたび決壊し、「百姓、恋慕スルコト父母ノ如シ」(『日本紀略』)の空海が朝廷から築池別当に任命され、修築した。当日、堤にある神野神社で、県知事や農業関係者が参加して神事を営み、水門を開ける。合わせて真言宗の神野寺(かんのじ)では護摩法要が行われ、神仏習合の行事となっている。

『水と人の列島史』 松木武彦・関沢まゆみ編
古代、中国でも王の最大の使命は治水で、失敗した王は殺されていたという。黄河を治水した夏(か)の創始者・禹(う)は日本でも信仰され、各地に禹王の碑がある。弥生時代、稲作が始まると同時に水の祭祀(さいし)が行われるようになり、皇極(こうぎょく)女帝は天皇として初めて雨乞いをした記録がある。護国宗教として受容された仏教も、雨乞い祈願は重要な役割であった。灌漑(かんがい)を要する農作は、自然崇拝的な信仰から、人が自然を管理するという合理的発想を生み、中国からの律令(りつりょう)制導入の基盤を形成したという。
三輪山山麓の扇状地に造営された箸墓(はしはか)古墳など前方後円墳の巨大な環濠(かんごう)は、周囲の水田のため池としても利用されていたという。王の権威を示しつつ、広大な水田を潤すという実利主義が日本人に広がり、それが王権を支えたのであろう。各地にある水分(みくまり)神社は、水源地を清浄に保つ機能も果たしていた。
興味深いのは、わざと川の近くに墓を設け、洪水で遺体が流失するようにした例があったこと。死を汚れとし、環境を衛生的に保つための知恵であろうが、死者の身になると何とも切ない。これも日本人の一つの側面である。
香川県が慢性的な水不足から解放されたのは、1974年完成の香川用水により徳島県の吉野川から分水されるようになってからで、最近のこと。田んぼにはパイプ配管が施され、栓をひねると水が出る。便利になると、逆に水のありがたさを忘れそうになるのが心配だ。
多田則明
吉川弘文館 定価2530円