トップ文化書評『ジョージア中世の教会建築ガイド』ダヴィド・ホシュタリア著 もう一つのキリスト教建築【書評】

『ジョージア中世の教会建築ガイド』ダヴィド・ホシュタリア著 もう一つのキリスト教建築【書評】

帝政ローマ時代、キリスト教に対する寛容令と弾圧が繰り返されたが、380年に国教化されると各地に大規模なキリスト教会堂が献堂された。古代ローマの世俗建築である裁判所や集会所に使われたバシリカ形式を採用し、全体が長方形、長い身廊(しんろう)、左右の壁側に側廊(そくろう)、一番奥に祭壇があるバシリカ式教会堂である。

『ジョージア中世の教会建築ガイド』 ダヴィド・ホシュタリア著

最初に建立されたローマの聖ペテロ教会堂もしかり。身廊上部の高窓の空間はシナゴーグの内部空間と重なる。バシリカ式教会堂は、4世紀になってヨーロッパ各地で造営され、その後のキリスト教会堂の発展の方向を決定することになった。

黒海の東側領域のジョージアも例外ではなかった。東ジョージア(イベリア王国)のミリアン王とナナ妃が330年頃、キリスト教に改宗し、キリスト教を国教と規定し、「救世主」という名称の教会堂を献堂した。そこは、聖骸布の埋葬地と一般に信じられていた宮廷の庭の中であった。4世紀中ごろ、単純な単廊型の最初の教会が献堂され、その後バシリカ式教会堂建設が活発になった。

西ジョージア(ラジカ王国)が4世紀前半に最初に献堂したのは、単純な単廊型の教会堂であった。5世紀初頭からバシリカ式の教会堂の献堂が続いたが、その後、両ジョージア王国にイスラーム勢力が侵入し支配した。

12世紀前半、建設王ダヴィド4世は聖俗の諸侯を束ね両ジョージア王国を統一し、西アジアの最強の国家をつくった。ゲラティ修道院を創建し、神学と哲学の碩学(せきがく)を集め学術的な発信地とした。孫娘のタマル女王は、何世紀にもわたるジョージア国家の「黄金時代」の完璧なモデルを創った。さらにヴァルジアで巨大な岩壁を刳(く)り貫(ぬ)いた高さ60メートル、広さ120メートルの修道院を創設した。15世紀末、オスマン、イラン、ロシアの草刈り場となるが、文化の一体性を保った。

最後に強調したいのは、本書に収録されている105葉の美しいカラー写真。現実の教会堂をぜひ見たいと思った。

(翻訳・編集、篠野志郎・守田正志)

法政大学名誉教授・川成洋

彩流社 定価3960円

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