
文芸記者とは、文字通り文芸を担当する記者のこと。こういう本は珍しい。
文芸記者の歴史はそこそこ古い。坪内逍遥あたりが始まりか。逍遥自身が文芸記者だったわけではないが、その流れを生み出した。1886年の話だから、140年近い歴史がある。
文芸記者を分類すれば、イケイケタイプと控え目タイプに分かれる。夏目漱石の弟子森田草平はイケイケ型。平塚雷鳥(らいてう)との心中未遂事件は有名だが、それ以外も勝手な行動で漱石を悩ませた。反省することもなかった。
昭和初期の新延(にいのべ)修三(東京朝日新聞)も、イケイケで傲慢(ごうまん)な男だった。新進の獅子文六に原稿を依頼した時は、獅子がゴネた。新延は「じゃあ、よしますか、目をつむって引き受けた方がいいんじゃありませんか」と迫った。結果、獅子は受け入れた。新延は定年後電通に就職したが、体を壊して2年で退職。傲慢な個性が年長者に受ける場合はあるが、新延のケースはそうではなかった。
控え目タイプの竹内良夫(読売新聞)は太宰治ファンだった。心中事件が起きた時は、死体は見たくないとの理由で葬儀にも出なかった。その後、竹内は支局に左遷。佐藤春夫の尽力で新しい職場を紹介されたものの、支局仲間の前でその人事をうっかり発言。話は流れた。「気持ち優先」のタイプだったようだ。
百目鬼(どうめき)恭三郎(朝日新聞)は、外での取材が嫌い。自分が中心にいたい。博識だが、周囲は辟易(へきえき)した。
当代の名物記者は鵜飼哲夫(読売新聞)だろう。女性作家から批判を受けたこともあるが、鵜飼は謝ることもなく、突っ張ることもない。著者は「面の皮が厚い」と評価するが、単なるイケイケではなさそうだ。
時代の流れを反映した女性の文芸記者の進出への言及もある。出典がハッキリしているので安心して読める本だ。
文芸評論家・菊田 均
本の雑誌社 定価1980円