葬儀業界の近年の変化を経済社会学的に論じたもので、いわゆる終活本ではない。しかし、業者の実態を理解することは、自分の葬儀を考える参考にもなる。
新型コロナ禍から痛感するのは家族葬の急速な広がりで、もう元には戻らないだろうと誰もが言う。首都圏から地方にUターンして30年の評者の記憶でも、班と呼ばれる隣組が主体の葬儀から業者主体へ、さらには参列者が少ない家族葬へと、年を追って変化した。子供の頃は自宅で葬儀をしていたので、大違いだ。その都度感じたのは、煩わしさからの解放と経済負担の軽減で、特に女性の意見が強い。半面、知人の死を悼み、思い出すことも必要ではとの思いもある。特に、死後しばらくしてから知らされたりすると。
家族葬や直葬が増えると業者やお寺が経営難になるのではと心配するが、葬儀がなくなることはないので、それなりに業態を変えているようだ。経費や形式はネットで簡単に調べられるようになったことも大きい。興味深いのは葬儀の事前相談が、全体の6~8割になっていることで、残された者に迷惑をかけたくないとの思いからだろう。
著者が葬儀に関心を持ったのは、少女時代に死の恐怖を味わったからで、いつの時代でも死にまつわる思いは変わらないという。そして、死ぬ時に、「ああ、誰かに託していけるのだ」と思えるのは案外幸せなことだと。だから、「迷惑」を起点にするのではなく、今の関係を人生の最期まで大切にするための「儀礼」を考えてはどうかと勧める。
日本では仏式が大半だが、キリスト教の葬儀についても述べていて、日本独自の浄土思想を感じさせるよう、儀礼の言葉など変えているというのも興味深い。その人なりの文化の中で死んでいくには、死生観を持つことが必要だが、認知機能の衰えとの戦いのようにも思える。いずれにせよ、しっかり考えられるうちに葬儀の形を決めておくことは大事である。
多田則明
平凡社新書 定価1100円