アショーカ王は紀元前3世紀のインド・マウリヤ朝の王で、仏教を保護し、おびただしい数の仏塔を建てたことで知られている。仏教経典の中で第1の伝記はブッダ伝だが、第2の地位はアショーカ王伝に与えられてもよいと、仏教学者の著者は位置付ける。
中国からインドへ赴いた法顕(ほっけん)や玄奘(げんじょう)は若い頃その伝記に親しんだに違いなく、彼らは旅行記でアショーカゆかりの地に立ち止まっては、故事を物語った。その伝記はサンスクリット語の『ディヴィヤ・アヴァダーナ』や漢文の『阿育王伝』その他で伝えられてきて、本書は前者の翻訳だ。
ミュージカルの台本のように、散文と詩が交互に出てきて、考古学的図版が舞台背景を伝えている。仏教の教えに出会い救済されるドラマが、悪との闘いを交えて演じられていく。
前世からの予言でドラマが始まる。ブッダ涅槃(ねはん)後100年にしてアショーカという名の王が現れ、世界の四分の一を支配する転輪聖王となり、ブッダの遺骨を各地に広め、8万4000の塔を建てるだろう、と。
アショーカはそのようにして王位に就いたが、最初は残忍な王として現れる。が、処刑されても死ななかった比丘(びく)によって改心する。波乱に富んだドラマで面白く感動的だ。
最後に訳者の解説があり、歴史的事実と照合している。アフガニスタンやパキスタンでも仏塔が発見されたが、興味深いのは周辺世界との交流だ。
王が使者を派遣した国王には、シリア王、エジプト王、マケドニア王、エペイロス王、コリントス王がいて、その時期は紀元前261年から紀元前253年。
マウリヤ王朝の宮殿址(あと)の一部には古代ペルシャ文化の影響が見られ、王の伝記の中にはギリシャ悲劇『ヒッポリュトス』のプロットをまねた部分があるとも指摘する。王は仏教にのめり込み過ぎたため、国を衰退させたとの指摘も興味を引く。
増子耕一
ちくま学芸文庫 定価1210円