Home文化書評『蔦屋重三郎と江戸メディア史』渡邊大門著 出版人としての生涯を記述【書評】

『蔦屋重三郎と江戸メディア史』渡邊大門著 出版人としての生涯を記述【書評】

星海社新書 定価1375円

芸術家について書かれた本は多いが、出版人について書かれた本は少ない。

この本は、出版人蔦屋(つたや)重三郎について記述したもの。蔦屋は1750年から1797年までを生きた人物。出版人だから、芸術家に比べて情報が少ない。間接情報を突き合わせて蔦屋の生涯を記述したものだ。

蔦屋の生きた時代は華やかな元禄時代の後。彼は吉原近くで生まれた。父は遊郭関係者といわれる。

蔦屋は遊女の異動など吉原の情報を伝える出版業から出発した。商売上手であり、度量も大きく、信義を重んじる人物だったといわれる。プロデューサーとしての力量も高かった。

狂歌師・戯作者・絵師などとの交流も多かった。人気作家を抱えるのは出版社の基本だ。

一方、老中松平定信の出版業界への取り締まりは厳しかった。1791年、蔦屋も山東京伝の出版について、財産の半分を没収され、手鎖(てぐさり)50日の刑罰を受けた。

その後、喜多川歌麿の浮世絵の活況、歌麿の蔦屋からの離反、東洲斎写楽の登場となる。

写楽(1762?~1820年)は謎の絵師とされたが、最近は斎藤十郎兵衛説が有力だ。彼は徳島藩(蜂須賀家)の能役者。江戸屋敷住まいの公務員だ。

写楽の絵師としての活躍は26歳前後の11カ月。前期は好調で写楽らしい作風だったが、後期になると精彩がなくなった。

前期の写楽は江戸で歌舞伎を見る機会があったが、後期ごろには歌舞伎は大坂へ移動。公務員だから江戸を離れることができず、情報だけで役者を描いたために迫力が失われた、と著者は指摘する。

蔦屋は1797年5月6日、47歳で没。店は番頭が継承、幕末期まで続いた。「蔦屋がいたから写楽が登場した」という側面は大きい。

文芸評論家・菊田 均

星海社新書 定価1375円

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