
「不幸について語るべきなにかを知るひとは語るすべを知らず、語るすべを知るひとは不幸を知らない」。シモーヌ・ヴェイユ(1909~43年)の言葉だが、著者はそう書いた人のことを「不幸を知ってなお、語るすべをうしなわず(あるいはとりもどし)、語り続けた稀有な人間のひとり」と形容する。
本書は『重力と恩寵』の著者として知られてきたユダヤ系フランス人女性の評伝だが、彼女の清冽(せいれつ)な思索は身体を媒介としていて、その相互作用を軸に生涯をたどる。
彼女の生きた時代は、ファシズムの台頭、人民戦線の盛衰、スペイン内戦、労働組合の崩壊、官僚制の肥大化、技術至上主義など、さまざまな問題が抑圧的な形で表面化した時代。その現場に自ら飛び込んで、世界の不幸を、「真理」において知る可能性を追求した。その探求は、此岸(しがん)における神の不在と彼岸における神の完璧な充溢(じゅういつ)、この相反する現実を同時に捉えようとしたという。
著者はその思索活動を四つの時期に分けて特徴を記すが、興味深いのはその始まり。16歳で入学した高等中学(リセ)アンリ四世校の教授アランは、徹底的に書かせることで思考の修練をさせた。教わったのはプラトンとデカルトへの愛、スピノザへの関心。世界に対峙(たいじ)する武器は身体を媒介とする知覚、意志の絶対的な自由、という若きヴェイユはデカルトの直系だった。
本書の特色は、多岐に及んだ彼女の著作、学生時代の哲学論文から、労働組合機関誌への寄稿記事、工場就労期の「日記」、キリスト教神秘家の著作解題まで、緊密な関係と一貫性を描き出している点にある。多くの著作は悲劇的な感情で彩られ、ヴェイユは孤独でもあった。
だが、両親が最も嫌ったことは家族が離れ離れになること。父母は娘シモーヌの後を追い、倒れた娘にさりげなく助けの手を差し伸べていた、と著者は記している。最も優れたヴェイユ研究の一冊。
増子耕一
岩波書店 定価1760円