
歴史家(歴史学者)が「歴史の世界」の内側について書いた本だ。「歴史家」と「歴史学者」を比べると、歴史家の方が重々しいようだ。
歴史家が実際にやっていることは知られていない、歴史家も自分の仕事をうまく説明できていない、と著者は言う。
「資料」と「史料」はどう違うのか。著者によれば、「資料」は一般的なものだが、「史料」は研究対象と同時代に作成されたもの、とされる。
誰かが土地を買った。土地売買契約書は、歴史家にとっては史料だ。が、土地を買った人間は、歴史家がその文書を数百年後に使用するとは考えない。
公家の日記。自分の仕事上の経験を記録として残す。目的は子孫のための利便性。記録を残せば子孫にとっては有利だ。
航海者の報告書。自身の功績を過大に記述して王室に送付する。自身の力量を国王に認めてもらいたいからだ。あらゆる報告書は、現在でもこの種の出世欲を含んでいるはずだ。
幕府が朝廷に対して、天皇の「詔(みことのり)」を要求することがある。天皇の意志を示す最上級の言葉が「詔」だからだ。朝廷が幕府を軽視しないように牽制(けんせい)するのが目的だ。言葉の格式を巡る権力闘争だ。
歴史の法則。歴史家ランケ(1886年没)は「歴史に法則はない」と考えた。歴史のあり方は神の意志に基づく。神の意志を人間が知ることはそもそも不可能と考えるからだ。反面、法則とは言えなくても、「歴史には普遍性がある」と考えることは可能だ。
近代以前の歴史を研究するとき、「現在の基準で考えてはいけない」と言われる。ただ、歴史家も読者も、「現在の基準」がどういうものか、本当は分かっている。
その前提で、「近代以前の人々の考え方や行動は今とは違う」と言っている、と著者は言う。言われてみればその通りだ。歴史学の面白さが分かる本だ。
文芸評論家・菊田 均
ちくま新書 定価1034円