
711年、北アフリカから1万2000人のイスラーム勢力、翌年、さらに1万5000人の後続部隊がスペイン南端に侵入した。714年までに、イベリア半島のほぼ全域を支配下に収めた彼らは、その領土をアンダルスと命名し、コルドバを首都と定めた。
彼らに占領されなかった半島北西部の山岳地帯に避難したキリスト教徒たちは陣営を整え、南へ進撃し、ついに1492年グラナダを陥落させ、イスラーム勢力を駆逐した。この800年に及ぶキリスト教徒の戦いを「レコンキスタ」と呼んでいる。
本書によると、このレコンキスタという用語を当事者が一度も使っておらず、19世紀に国民国家形成に利するために造られた造語であるという。しかし、勝利者側が戦争の正当化のために、後付けするのは通例である。
本書は、レコンキスタを時系列に精密かつ実証的に整理し、結局、干戈(かんか)を交えていた両陣営において、最後の決戦であるグラナダ包囲戦に至るまで、「それぞれ一枚岩ではなく、同じ信仰を持つ同胞を排除するために異教徒と手を結ぶことは日常茶飯事であった」と述べている。
何のことはない、わが国の戦国時代の「国盗り物語」であろう。ともあれレコンキスタに勝利したキリスト教陣営の国王夫妻は、1496年、「カトリック両王」という褒詞(ほうし)をローマ教皇から贈られる。両王は王位の正統化、統治の効率化、さらに市井(しせい)の人民監視の徹底化などのために、ローマ教皇庁から独立した異端審問所をセビーリャに創設する。
これが廃止されたのは、驚くべきことに、ずっと後の1834年であった。こうしてレコンキスタの成果は、スペインの近代化への大きな桎梏(しっこく)となったことを見逃せない。あの紀元前500年から半世紀続いたペルシャ戦争時の、勝利したアテネのアリスティデス将軍の命令「逃走する敵に橋を架けてやれ」を微塵(みじん)も心に留めていなかったことは間違いない。
評論家・阿久根利具
中公新書 定価1210円






