
自伝文学の大傑作。この分冊では1840年5月、内務省に勤務すべくペテルブルクに赴いた時から、47年1月国外に旅立つ時までの7年間がつづられている。その間、父親が亡くなり、親族間の出来事を語り、外国への旅立ちを準備する。著者、28歳から35歳までの時期だ。
ペテルブルクでの勤務は長くはなく、巡査が通行人を殺した事件について語ったことがとがめられて流刑に。取り調べでは妻が衝撃を受けて、お腹(なか)にいた子供は早産で亡くなった。
流刑は人事異動のようなもので、41年7月ノヴゴロドの県庁に参事官として勤めた。ニコライの時代で、上流社会から貴族的気風は消え、粗暴で、専制的な気風が支配的となっていた。そこで体験したのは地主たちの権力乱用で、著者は地主たちの悪を糾弾して勝利を収める。
本書の圧巻は仲間たちとの思想交流だ。モスクワに戻ると新しい友人たちが熱烈に歓迎してくれた。先頭にいたのはグラノフスキー。モスクワ大学歴史学教授で、ヘーゲルの影響から、歴史は「自由」という普遍的な理念の実現に向けられているという史観を持っていた。
著者も西欧派の一人だったが、西欧的な人間には批判的だった。西欧人は独創性によってロシア人を驚かせるが、そのモラルは閉鎖的で窮屈。ロシア人はもっと芸術的で、素朴で、多面的で、伸び伸びしているとその良さを語る。
反対派がいた。スラブ派だ。敵対した理由は、その教義の中に「皇帝神聖化の新しい聖油」と「思想統制の新しい鎖」と「ビザンツ教会への新しい隷従」とを認めたからだ。
両派とも多数の知人が登場するが、スラブ派の代表として挙げるのはホミャーコフ。両者の違いは過去の歴史の評価。スラブ派は奇妙な敵で、西欧派と同様ロシア的なものへの限りない愛情を持っていた…。
ロシアの人と社会を知るための優れた著作だ。
(金子幸彦・長縄光男訳)
増子耕一
岩波文庫 定価1507円