
NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代考証を務めている著者は、ドラマは恋愛と史実のパートから成り、前者は全くの虚構で、「あんなことはあり得ない」と進言したが、聞いてもらえなかった。後者の、政治や皇位継承はほぼ著者の意見通りで、それは「古記録という貴族の漢文の日記」によったと。
平安時代の日記というと『蜻蛉(かげろう)日記』や『紫式部日記』など女性の仮名日記がよく知られるが、著者はそれらは厳密な意味で日記と言えず、私小説に近いとする。
それに対して、藤原道長の『御堂関白記』や藤原実資(さねすけ)の『小右記』など男性が漢文で書いたものは、まさに日記そのもの。当時、天皇から貴族、武士、学者、庶民に至るまで多くの人が日記を書き残しており、世界的に見ても日本特異の文化だという。近衛家には『源氏物語』の写本もあったが、戦乱に際し古記録は持ち出したが、残した源氏は焼失したというから、重要度の違いが分かろう。特に京都では、記録=文化が権力の源泉であるとの発想が支配的だったという。
例えば、長和元(1012)年正月27日の除目(じもく)(官職の任命式)に遅刻した右大臣の藤原顕光(あきみつ)が、「花山朝の藤原為光(ためみつ)の例にある」と言い訳したのに対して道長は、「日記にあるのか」と聞いている。調べると日記には書かれていなかったので、でたらめだと判明したという。つまり、日記が判断基準になっていたのである。家業として官職を継いでいた日本では、子孫たちが間違えないよう、仕事や儀式の仕方、事件の記録など詳細に書き残す必要があった。そのため、特に政治史は正確に伝わってきたのである。
著者が古記録の中の古記録とするのが藤原実資の『小右記』。無能で知られた藤原道綱が実資を超えて大納言に任じられたときは、身内(一家の兄)を優先した道長を非難している。時に感情もあらわに記されているのが面白い。
多田則明
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