
本書のカバー写真は凛々(りり)しい空手着姿であるが、その黒帯の黒がほぼ消えてしまい灰色のボロボロの紐(ひも)状態である。空手道の黒帯は、柔道や合気道の黒帯より、8ミリ位幅広く、また帯の厚みもほぼ倍近く厚い。実に締めづらい帯だ。
それがボロボロの紐状態になるのは、尋常一様な稽古ではないことの証であろう。この写真の主は、英国で弟子たちから「タイガー・エノエダ」と呼ばれた、松濤館(しょうとうかん)流空手道9段榎枝慶之輔である。
本書は榎枝慶之輔の評伝である。1935年7月、福岡で生まれた榎枝は地元の高校時代に柔道2段を取得するが、たまたま空手の演武を見て感動し、拓殖大学に進学し空手部に入部。
当時の大学空手は、松濤館流を嚆矢(こうし)として、剛柔流、糸東(しとう)流、和道流の4大流派が主流だった。大学4年で3段取得。大学卒業後、松濤館流の組織団体(日本空手協会、JKA)の本部道場研究生を経て、4段取得し、本部道場上級指導員となる。5段取得した翌65年、文部省の国際文化交流事業として、榎枝を含む松濤館流の「空手ベスト4」がアメリカ、欧州、南アフリカを巡回して空手の演武と指導を行い、英国に招聘(しょうへい)される。
67年リバプールで、厳しい特訓のために「サムライ道場」といわれた。だが、演武だけでは満足しないイギリス人は「試し割り」を所望する。榎枝は10センチ弱の板を蹴って見事に真っ二つに割り、観客から驚きの喚声が上がった。68年、ロンドンで、英国空手連合(KUGB)の首席師範となり、英国を拠点として欧州全域で指導にあたる。85年8段取得、90年、世界大会男子組手戦で、日本を破り優勝。
これこそ、榎枝の長年の悲願だった。東京のJKA本部から帰国の要請を何回も受けるが、英国に留(とど)まることにする。しかし、胃がんが発症し、東京で手術するがその3カ月後の2003年3月29日、鬼籍に入る(享年67)。実に見事な「空手一筋」の人生であった。
法政大学名誉教授・川成 洋
敬文舎 定価2640円







