西日本第2の高さを誇る徳島県の霊峰・剣山(つるぎさん)(標高1955㍍)の山頂で7月17日、剣山本宮宝蔵石(ほんぐうほうぞうせき)神社の例祭「御神輿渡御祭(おみこしとぎょさい)」が執り行われた。主催は一般社団法人忌部(いんべ)文化研究所。氏子(うじこ)らでつくる先達会(せんだつかい)や一日修行体験に応募した一般の人たち100人が古式にのっとり、和やかに祭りを斎行した。
(多田則明、写真も)

剣山は観光リフトで9合目まで登ることができ、そこから山頂まで徒歩50分なので、夏には一般の登山客も多く訪れる。高知生まれの作家宮尾登美子の小説『天涯の花』は、剣神社宮司に引き取られ巫女(みこ)になった女性の物語で、舞台では松たか子が主人公を演じ人気を博した。題名は剣山山頂に咲くキレンゲショウマのことで、それを見に来る人も多い。
「忌部(いんべ)」は大和王権の宮廷祭祀(さいし)を司(つかさど)った氏族で、『延喜式(えんぎしき)』では阿波忌部が天皇即位の大嘗祭(だいじょうさい)に際して、神服(かむみそ)として麻で織った麁服(あらたえ)を調進することと定められており、現在では忌部の末裔(まつえい)である三木家が剣山麓で栽培された麻から糸を紡ぎ、徳島市の忌部神社で伝統の機織りを復活して布を織り、奉納している。
大祭は16日の宵宮祭(よいみやまつり)に続き、17日午前11時から神輿渡御が行われた。頂上にある巨大な磐座(いわくら)「宝蔵石」を背にした剣山本宮で神事が行われた。

この磐座には、源平の屋島合戦に破れた平家の一行が安徳天皇と共に剣山に逃れてきた際、安徳天皇の宝剣を納めたという伝説がある。一行は神輿を担いで山頂近くの木製の天空テラスへ移動。そこで、笛や太鼓の音に合わせ、神道芸能や阿波踊りなどが披露され、参列者を喜ばせていた。
テラスからクマザサの斜面に下りた一行は神職からお祓(はら)いを受け、神輿渡御が始まった。延々と広がる四国山脈を見渡しながら、須佐之男命(スサノオノミコト)と安徳天皇をお祀(まつ)りしたご神体(御幣)が載せられた大神輿とそれに続く小神輿が、白装束に身を包んだ担ぎ手たちに導かれ、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」の掛け声と共に、普段は立ち入りが禁止されているクマザサの中を一列となって進む様子はまさに圧巻だ。山頂の三角点を中心に設置された複数の木道には、平家を思わせる赤い旗を手にした法被(はっぴ)姿の参加者が、先払い役を務めていた。
神輿が御旅所(おたびしょ)に模せられた山頂の三角点に到着すると、2本のご神体がそこに祀られ、クライマックスの神事となる。まさに天空の神事で、参列者と登山客に取り巻かれ、信仰と古代ロマンと観光がミックスされていた。外国人の姿もあり、ベトナム人男性と一緒に初めて参加し、日本研究のため1年留学しているドイツ人女子大生は、「伝統的な祭りに、とても興奮した」と語っていた。
剣山山頂の宝蔵石神社の例大祭が現在の形で行われるようになったのは昭和52(1977)年からで、前年9月の風水害による崖崩れで、登山口にあった両劔山神之・両劔前神社・福生権現(ふっさごんげん)の3社殿が全壊したためである。同所には劔山本宮劔神社のみが再建されている。
剣山の西にある三好市東祖谷(ひがしいや)には、平国盛ら平家の落人が山の急斜面を開拓したという伝説が伝わっている。平家の末裔の一つ阿佐家には「八幡大菩薩」と書かれた赤幡(あかはた)が伝わり、東祖谷歴史民俗資料館に展示されている。急峻(きゅうしゅん)な山に囲まれた隠れ里で生き延び、末裔が暮らしのために造ったとされる「かずら橋」は観光の目玉になっている。
剣山は、古代イスラエルの失われた契約の箱が眠っているという「失われたアーク伝説」でも知られる。山頂の地形が古代エルサレムの神殿配置と似ており、神輿の構造がアークに酷似していることなどから、明治以降の「日ユ同祖論」と結び付いたのであろう。ちなみに7月17日はアークが剣山にたどり着いた日とされる。
他にも、邪馬(やま)台国(たいこく)は徳島の神山町(かみやまちょう)にあり、卑弥呼の墓があるとの話や、漢字以前の神代文字の一種「阿波文字」が伝わるなど、古代ロマンを掻(か)き立てる都市伝説が多い。







