埼玉県南部に位置する蕨(わらび)市は、江戸時代に宿場町として栄えた「蕨宿」があることで知られる。旧中山道(なかせんどう)に面した「蕨市立歴史民俗資料館」は、蕨宿を象徴する瓦屋根の風情ある建物だ。ここで開催されている平和祈念展「統制されるモノ・ヒト ―変わりゆく生活の風景―」では、戦時下の日本で使われていた品々や印刷物が展示されている。(賀好 広、写真も)

まず目に飛び込んできたのは、「國民精神總動員」や「堅忍持久」と書かれた「時局凧(じきょくだこ)」。戦意高揚や国威発揚、銃後(じゅうご)の引き締めなどを目的としており、標語や絵柄が描かれている。昭和12(1937)年の日中戦争勃発に伴い、政府は「国民精神総動員運動」を展開し、「挙国一致・尽忠報国・堅忍持久」のスローガンを掲げた。時局凧は子供の愛国心を養う目的で作られたが、遊びにまでこうした標語が浸透していた。

太平洋戦争が始まる昭和16年には、兵器生産に必要な金属資源を補うため「金属類回収令」が公布・施行された。銅像やマンホール、寺院の釣り鐘、家庭の鍋や釜までありとあらゆる金属類が強制的に回収された。頭部が木製で針のみが金属という画鋲(がびょう)、学生服の金ボタンを回収する様子を写した写真も展示されていた。
政府は質素倹約を呼び掛け、衣服や食料は配給制となった。もち米は一般家庭1人につき2㌔と制限され、正月の鏡餅はぜいたく品の扱いとなった。物資不足で代用品が多く製造され、その一例として展示されていたのが陶製の鏡餅だ。
「防空訓練」のコーナーでは、家庭の照明器具に笠(かさ)をかぶせる「灯火管制」が紹介されていた。夜間の空襲時に標的にされないよう、空から明かりが漏れないようにするための措置だ。専用の笠や遮光された黒い電球、防空頭巾や防毒マスクなども展示されていた。

興味を引いたのは、バケツリレーで消火する様子を描いたカラーのイラストだ。屋根を突き破って部屋に焼夷弾(しょういだん)が落ちてきた場合の「心得と作法」らしいが、いざという時、冷静に対処できるはずがないと思えてならなかった。

現代から見ると目を疑うような品々ばかりだが、これが当時の日本の姿だった。間もなく終戦から81年が経過する。戦争体験者は既に90歳前後となり、直接話を聞く機会もめっきり減った。今こそ「百聞は一見に如(し)かず」の通り、実物を見て知ることは大変貴重である。
会期は9月13日(日)まで。開館時間は午前9時~午後4時30分。休館日は月曜日(祝日除く)。入場無料。






