炎を背にし、剣を握り、険しい表情で正面をにらむ不動明王。その怒りの形相からは恐ろしさよりも、むしろ人の迷いを断ち切ろうとする強い意志を感じさせる。今年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」撮影開始の地ともなった、山形県寒河江(さがえ)市の本山慈恩寺(じおんじ)で開かれている特別展「不動明王と慈恩寺修験(しゅげん)」は、こうした仏像の迫力と共に、この地に息づいた修験文化の歴史を伝えている。
慈恩寺は奈良時代、天平18(746)年の開基と伝わる古刹(こさつ)。寺の背後にそびえる葉山は、出羽(でわ)三山(さんざん)と共に古くから聖地として崇(あが)められ、山に入って修行する修験者たちの拠点となっていた。この地は四神相応(しじんそうおう)の地であり、自然の霊力が集まる場所として、山岳信仰は寺院建立以前から存在していたようである。

寺の伝承では、行基がこの地を聖武天皇に奏上し、婆羅門僧正(ばらもんそうじょう)が開いたとされる。だが、慈恩寺責任役員の花山祐尚(ゆうしょう)さんは「(行基も婆羅門僧正も)来ないでしょう。来たことになってますが。2人とも東大寺の大仏を造らなきゃいけないので大変ですよ、忙しくて」と話した。婆羅門僧正とは当時、中国から来ていたインド生まれの僧で、東大寺大仏殿の開眼(かいげん)供養法会(ほうえ)で導師を務めた人物である。東大寺の開眼供養は752年のことだ。
慈恩寺では最盛期には一度に83人の修験者が訪れたことが板札に記されている。慈恩寺は天皇や将軍の安泰を祈願する寺でもあったため、この地を訪れる修験者たちの祈りは個人の救済にとどまらなかった。また、この寺には京都や奈良で造られた優れた仏像群が伝わっており、関ケ原の戦いの戦勝祈願が行われたことや、「黒船来航の際には、幕府から直接、祈願の依頼が来た」(花山さん)という事実から、中央との結び付きの強い寺院だったことがうかがえる。
だが、その営みは明治の神仏分離で大きく断たれた。慈恩寺は神社化せず、仏教寺院として残る道を選んだため、領地は没収され修験は禁止された。花山さんは言う。
「神社に変えていれば修験は続いたのかもしれませんが。修験は書き物では残さないのです。実際にやってみろ、という世界です」
文字ではなく身体で伝える世界。だからこそ、約80年の空白は決定的だった。昭和になって柴燈(さいとう)護摩会(ごまえ)(屋外に設けた祭場で執り行う護摩祈祷(きとう))は復活したものの、かつてどのような修行が行われていたのか、その全貌は失われたままだ。

明治期の逆風を乗り越え、慈恩寺は昭和になるとその歴史的・文化的価値が見直され、「江戸時代のたたずまいを良好にとどめ、日本の仏教信仰の在り方を知る上で重要」であるとして、平成26(2014)年には境内や周辺地域一帯が国指定史跡となった。本堂は国指定重要文化財に指定されており、薬師堂には院派が造った穏やかさをたたえた釈迦如来像、慶派制作のダイナミックな十二神将立像(じゅうにしんしょうりゅうぞう)(共に国指定重要文化財)が祀(まつ)られ、山門、三重塔(共に県指定有形文化財)など見どころは多い。
特別展では、不動明王を中心に普段は非公開の仏像を見ることができる。近くの総合案内施設「慈恩寺テラス」では、ジオラマへのプロジェクションマッピングや展示資料を通して、慈恩寺約1300年の歴史や、寺院を構成する院坊、かつて盛んに行われていた修験などを紹介している。
境内には時折、鐘の音が響き、緩やかな時間が流れる。途絶えてしまった修験の歴史。それでも山を背に立つ慈恩寺には、文字にも記録にも残らなかった祈りの気配が、今なお静かに息づいている。
(長野康彦、写真も)






