
西洋史学の泰斗(たいと)で東大総長を務めた林健太郎が、月刊誌『知識』に平成2年から約2年間連載したものを一冊にまとめた。歴史学者の冷徹な眼(め)とその時代を生きた一人の知識人の実体験から激動の時代相を浮かび上がらせる名著だ。
著者は戦後を代表する保守派知識人だが、一高から東大へと進んだ青年時代は、当時の多くの知識青年の例に漏れず共産主義を信奉していた。一高入学当初は法学部に進むつもりでいた著者が歴史学者の道を歩むようになったのも、「遠からず革命が起こってこの資本主義社会もおしまいになると確信したので、役人や重役になるのは無意味になった。そこで学問で身を立てる気になった」ためだという。
このように共産主義を絶対的な真理と考えていた著者だが、戦後の共産党の破壊的な活動を目にし、共産主義に疑問を持つようになる。しかし「ひとたび捕らえられたイデオロギーから脱却するというのはなかなかむずかしいものである。それはそのイデオロギーの唱える理論が客観的事実と合致しなくなることによって生ずるのであるが、その過程がまた決して簡単ではない」のである。それでもソ連という国家の実態を認識するにつれ、共産主義離れは決定的となった。
著者が戦後日本の岐路と見るのが昭和22年の「二・一スト」のGHQ(連合国軍総司令部)による中止命令と27年のサンフランシスコ講和条約の締結で、共産化を防げるかどうかの大きな分岐点だったという。戦後日本の言論界、政界には、朝鮮半島とは形を変えたイデオロギーの38度線が横たわっていたと指摘する著者は、自ら共産主義、唯物史観を脱却した立場で、進歩的文化人との論争を展開してゆくのである。
この問題を専ら言論・思想の世界で戦ってきた著者が、大学の教官として身をもって体験することになるのが、昭和43年から44年にかけて起きた東大紛争だった。この時、著者が学内に立てこもる学生たちによって73時間にわたって軟禁されたことはよく知られている。本書ではその時のことがつぶさに語られる。
それにしてもあの全共闘運動、東大紛争とは何だったのか。著者は、紛争が終わった後、学生たちがすっかりおとなしくなったことが教師たちを驚かせたとし、「一時あれほど学生を捉えた全共闘イデオロギーも実は案外に根の浅いものであったということを示しているのであろう」と述べる。当事者の言葉だけに実感がこもっている。
昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御され昭和が終わる。この年の春には東欧諸国が続々と共産党支配、社会主義経済と決別し、秋にはベルリンの壁が崩壊する。1961年8月、ドイツ留学中にベルリンの壁が造られるのを目の当たりにした著者は、その壁が崩壊するのに深い感慨を覚える。
「あとがき」では、昭和という時代が「甚だ異なった二つの部分から成るにもかかわらず、なおそれをつないで一つの時代をなしているのは、やはり昭和天皇という個人の存在である」と述べる。著者にとって、昭和史を振り返ることは、決定論的な唯物史観と決別し、個人の役割を重視する自身の歴史観を確認することでもあった。
(特別編集委員・藤橋 進)





