
世界中の大都市の公共スペースでアレクサンダー・カルダーの彫刻作品が20世紀、一世を風靡(ふうび)した。パリのルイ・ヴィトン財団では、類稀なインスタレーションの物語(8月6日まで)が見られる。
1898年にフィラデルフィアで生まれたカルダーは、アメリカの彫刻家・現代美術家として、動く彫刻「モビール」の発明者で知られる。
同展では、エントランスホールを見下ろす、高さ約6㍍、幅約4㍍のモビール「勝利の赤いモビール」をはじめとする、最も記念碑的な作品が網羅され設置されている。300点に及ぶ作品は、なぜか来館者を元気づける。20世紀の世界の芸術シーンに刺激を与えたカルダー作品には生命力が宿っている。
この金属の詩人は、彫刻を躍動感あふれるダンスへと昇華させ、その強烈な自由さは今日でもなお人々の心に響く。カルダーほど、アメリカ的な芸術家はいない。ヨーロッパで育った西洋美術の進化を見て取ることができる。権威的抑圧、階級社会の不平等、宗教的禁欲主義から解放された自由主義がみなぎっている。全ての作品にヨーロッパにはない遊び心と軽やかさがある。
1926年にパリ14区の中心、モンパルナス地区に引っ越してきたばかりの28歳のアメリカ人、アレクサンダー・カルダーは、小さなアパートで、紐(ひも)、針金、木片、手縫いの布地、その他の可動関節のある人形を作り始めた。1926年から31年にかけて、この即席の劇団は規模を拡大し、数々の偉業を踏まえ、一大センセーションを巻き起こした。
パリの前衛的な人々が集まり、サーカスのリングを思わせる絨毯(じゅうたん)の上で、空中ブランコを支柱に囲まれ、車のウインカーで明るくされた舞台スタジオ兼寝室に人は詰め掛けた。空中曲芸師、ライオン使い、怪力男のリグーロ、たばこをくわえながら風船を膨らませるピエロ、陽気な寸劇が、蓄音機から流れる音楽に合わせて盛り上がり、来場者を夢中にさせた。
彼は1919年にはスティーブンス工科大学で機械工学の学位を取得し、エンジニアとなり、物理の法則や運動エネルギー、さらには宇宙を支配する力の均衡に精通していた。母親は画家、祖父と父は著名な彫刻家だった。そのため工学を学んだ後に、自然な形でニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに入学し、そこでデッサン、版画、絵画を学んだ。
ロンドン、ル・アーヴルに船で渡り、パリに到着したカルダーは風刺画家としての仕事を続け、生計を立てつつ、関節可動式の玩具のデザインに着手し、間もなく彼の有名なミニチュアサーカスのフィギュアの制作に取り掛かった。パリで知り合った前衛芸術家に刺激を受け、やがて動く抽象彫刻作品「モビール」を世に送り出した。
第2次世界大戦後はアメリカとフランスを往復しながら制作を続け、ついには市街地に置く大型のパブリック・アートも手掛けるようになった。彼はまるで工作と発明が大好きな少年のように一生を過ごした。見えざる手に導かれてフランスとアメリカで成功を収め、世界中の広場で今は彼の作品が多くの人にクリエイティブなインスピレーションを与えている。
(安部雅延)





