
昭和史の第一線の研究者、論客4人が縦横に論じ合っている。月刊誌『諸君!』に平成12(2000)年に掲載された座談会を基に、同年、文春新書の一冊として出された。それから四半世紀以上が経過しているが、今でも昭和史の争点を語るときの起点となる問題提起、視点が提示されている。
「ワシントン体制」から「戦争責任と戦後補償」まで17項目を、それぞれが専門分野や持ち味を生かして論じている。ある論者はマクロ的に、ある論者は細部から迫る。視点が異なる分、昭和史が立体的に見えてくる。
その中で終始、マクロ的視点と覚めたリアリズムを感じさせるのは坂本多加雄氏。「ワシントン体制」を論じた所で、半藤一利(はんどうかずとし)氏が陸軍が仮想敵国をソ連としたのに対し海軍がアメリカにしたのは、「あくまで予算を獲得する方便」と述べたのに対し、坂本氏は日露戦争後のアメリカの対日政策の変更、さらにワシントン会議自体にも、中国での利権を拡大しようとする日本を抑え込むという動機があると指摘する。
近衛(このえ)内閣の「東亜新秩序声明」については、さまざまな問題点を指摘した上で、「しかし、日本が、世界の中での日本であり、世界の秩序をつくらなくてはならないという要請を突きつけられた経験というのは、ほかにはないんです。ですから(中略)こういう経験は記憶に留めておいたほうがいいんですよ」と評価する。
一方、人間的な視点で迫っているのは半藤氏。中国大陸での戦線拡大の背景を「勲章や爵位という個人の問題も大きかったと思います。これらには年金がついていますから名誉だけではなく金の問題でもあります」と述べる。二・二六事件を論じた所では、「天皇が激怒したのは、育ての母親ともいえる鈴木貫太郎侍従長夫人のタカから、事件の第一報が、直接、電話で知らされたからじゃないか」と言う。保坂正康氏も「なるほど、ありえます」と応じている。
秦郁彦氏は、マクロ、ミクロの両視点から、実証的に論を展開。盧溝橋(ろこうきょう)事件は中国共産党の陰謀と言う説は退けている。これに対し保坂氏は「しかし、日本軍の軍事行動を、国民党よりも中国共産党のほうが、より待ち望んでいた状況はあった。それと日本陸軍の強硬派の思惑が合体したということでしょう」との見解を示す。
秦氏の史眼の鋭いのは近衛文麿を論じた所。「日本の運命を決した重要決定というのは、ほとんどすべて近衛内閣のときです。それは偶然ではなくて、タカ派的な重大決定をするときには、トップに近衛が坐りがいいと軍部は考えていたんでしょうね」
保坂氏の論では東京裁判を論じた所で、あれが復讐(ふくしゅう)裁判であるのはある面当然であるとし、「東京裁判に振り回されていること自体、われわれの主体性のなさ、歴史観の欠如というものを間接的に告白しているような感じがする」と述べる。東京裁判史観の克服の盲点を突いているとも言える。(特別編集委員・藤橋 進)





