
イギリスやスウェーデン王室の公式文書の製本装幀(そうてい)をはじめ、ノーベル賞の賞状制作にも携わるなど、製本装幀の第一人者として活躍したティニ・ミウラ氏(1940~2025年)の作品や制作活動を紹介する特別展が、宮城県の仙台文学館で開かれている。開催初日の4月25日には同氏のパートナーでマーブル・ペーパー制作者・蒐集(しゅうしゅう)家でもある三浦永年(えいねん)氏がトークイベントに出席。「ティニ・ミウラの製本装幀芸術の世界」と題して、同氏との出会いや国内外での長年にわたる活動、小説家・川端康成とのエピソードなどを語った。会場は満員で200人ほどが熱心に聴き入っていた。

ティニ・ミウラ氏は、ドイツ北部のキール市生まれ。美術大学の教授だった父の影響もあり、ヨーロッパ各地で伝統的な革装本の製本装幀技法を学んだ。
「彼女は5カ国語が話せて大学にも行ったし、幅広い知識を持っていたから、製本装幀にもさまざまな様式がある中で、比較検討していいものを取った」(永年氏)。
1971年、スイスで開催されたポール・ボネ賞コンクールで最優秀賞を受賞し、製本装幀の第一人者として国際的な評価を確立。以降、図書館、美術館や博物館、愛書家などから依頼された稀覯本(きこうぼん)、愛蔵本の装幀などの仕事を行ってきた。

ヨーロッパ留学中だった永年氏と出会い、75年に結婚。ヨーロッパ、アメリカ、東京に工房や教育組織を構えながら制作と後進の育成を行った。晩年は永年氏の故郷である宮城県に「宮城芸術文化館」を設立し、そこを拠点として2025年11月に亡くなるまで創作活動を続けた。
ティニ・ミウラ氏は1963年からはノーベル賞の賞状制作にも携わり、65年に物理学賞を受賞した朝永(ともなが)振一郎、68年に文学賞を受賞した川端康成の賞状も制作した。そこから川端との縁が生まれる。永年氏は「夫婦で1カ月に1回遊びに来るよう言われた。川端さんの話を延々と何時間も聞き、通訳もして、家に帰ったらもうくたくた。でも素晴らしい人だった」と貴重な体験談を語った。
ある時、川端康成がノーベル賞の賞状をデパートのイベントに貸したところ、展示用のガラスケースが壊れ、その破片で激しく損傷してしまった。為(な)すすべもなくそのままの状態で家に保管していたところ、その賞状を見たティニ・ミウラ氏が「私は専門家ですから私に任せてください」と3週間で見事に修復し、一同驚愕(きょうがく)したというエピソードも紹介した。
今私たちが手にしている本の多くは、明治期に日本へ広まった西洋の製本技術をベースとする洋装本である。しかし、西洋に古くから伝わる手製の装幀本については、日本ではまだ十分に知られていない。すべての工程を職人の手で仕上げる一点物の本作りは高度な技を要し、完成までに3カ月から1年もの時間を費やす。
確かな技術で生み出された本は、堅牢(けんろう)さと美しさを兼ね備え、500年の保存にも耐えるとされる。手仕事による装幀本の魅力に触れる貴重な機会となっている。
会期は6月28日(日)まで。(長野康彦、写真も)





