
昭和10年、国粋派の貴族院議員が、憲法学者・美濃部達吉の憲法学説を批判することで突然浮上した天皇機関説問題。
帝国憲法下においては、国の主権は法人たる国家にあり、天皇はその主権を行使する最高機関であるとする美濃部学説は、それまでほぼ定説として受け入れられていた。これに対し、政治的影響拡大を目指す陸軍の皇道派、岡田啓介内閣打倒を目指す立憲政友会が、美濃部学説は天皇主権の「国体」に反するとして、民間右翼団体も巻き込んでキャンペーンを展開。美濃部は貴族院議員を辞職する。
昭和改元と敗戦のちょうど中間で起きたこの事件を昭和史の「節目」と捉える著者が、その経緯、渦中の人物たちがどう考えどう行動したかを、日記をはじめ、およそ閲覧可能なありとあらゆる資料から浮かび上がらせている。
美濃部達吉、宮沢俊義(としよし)、蓑田胸喜(むねき)、丸山眞男(まさお)、清水澄(とおる)そして昭和天皇の6人の主要登場人物の写真とプロフィルが巻頭に置かれている。最初に登場するのは、戦後、東大の憲法学を牽引(けんいん)した宮沢俊義。昭和34年、退官に際し教授会で語ったあいさつの中で、かつて天皇機関説問題の時、美濃部の門下でありながら沈黙を守ったことへの忸怩(じくじ)たる思いを語ることで始まる。
機関説への攻撃は、美濃部が議会で「一身上の弁明」を行ってさらに激しくなる。しかし、美濃部は自身の学説を曲げることはなかった。息子で東京都知事を務めた美濃部亮吉の著書などから、貴族院議員辞職の詳しい経緯などが、生々しく再現されている。
美濃部の硬骨漢ぶりには、評者などはどうしても、「よき明治人」の姿を見てしまう。己の信念へ忠実、学者としての誠実さは、敗戦後、新憲法への改正に当たって、枢密院顧問官として、ただ一人改正に反対したことにも表れている。
清水澄は、美濃部と学説は異なるが親友の憲法学者。東宮御学問所の御用掛(がかり)として長らく昭和天皇に憲法など法律や時事問題を講義した。最後の枢密院議長を務めるが、戦後、新憲法が制定され、自身も公職追放となって、熱海で入水自殺する。帝国憲法に殉じたのだ。本書では清水が、天皇機関説問題の収拾においてキーパーソンの役割を果たしたことを明らかにしている。
参考にされる文章は、歴史書に留(とど)まらないので、問題の陰で関わった人物も多く登場する。例えば志賀直哉の叔父で、近衛(このえ)新体制のために動いた志賀直方など。そういった、さまざまな人物模様も浮かび上がってきて、それら人物のやや本筋と離れたエピソードも面白い。ただそれは単なるエピソード、模様ではなく、昭和史という大きな織物の中の模様となっている。
(特別編集委員・藤橋 進)





