
全国各地で遺跡の発掘が進み歴史が塗り替えられているが、秋田県横手市の雄物川(おものがわ)郷土資料館で開かれている特別展「#横手を20年掘ってみた。~発掘調査でわかった横手の歴史」では重要な事例を展示している。
横手市教育委員会では、2005年の市町村合併から20年間で40を超える遺跡を発掘し全国的に見ても大きな発見が相次いだ。同展では石器や土器、曲げ物など約90点を展示している。
日本列島では今から1万5000年前ごろから縄文土器が出現し、横手地域では約3000年前から竪穴式住居が環状に配置され、約1500年前から集落が分散し環状列石が発達。紀元前約100年から稲作とクニ(集落のようなもの)が広がっていく。
展示では、雄物川に近い縄文時代の「神谷地(かみやち)遺跡」で、竪穴式住居の炉の中からサケやコイ、イノシシや鳥類の骨が見つかり、旬の食材を調理した石器や土器も見つかった。
400年ごろの古墳時代には、全国的に前方後円墳が造られヤマト王権が力を持ち始めるが、横手では集中して6カ所の遺跡が見つかった。中でも「一本杉遺跡」は日本海側最北、最大級の古墳時代の集落で、竪穴建物跡が5棟発見され、一番大きいものは床面積100平方㍍を超す巨大なものだった。
さらに奈良・平安時代の遺跡の発掘が増えることで、「大鳥井山(おおとりいやま)遺跡」では日本最古の武士の城の様子が分かってきた。謎だった後三年合戦の主役、古代豪族・清原氏の館跡では、先祖の墓や持仏堂とみられる建物の丘陵を巨大な二重の堀と土塁で囲む。堀から大量のかわらけが出土し、武士が宴会を催した日本最古の城だと評価されている。
同じ平安時代の初めには、近くに古代城柵「払田柵(ほったのさく)跡」が造られた。横手でも西小泉遺跡で「氏長」と墨書きされた「墨書土器」が出土し、焼き物や鉄の生産が行われ、中央の文化や技術が根付いたことが判明した。
そして室町から戦国時代には、出羽金沢(かねざわ)城跡が横手盆地に築かれた大規模な山城であり、「郭(かく)」と呼ばれる複数の平場が並立する「群郭式」だったことが分かった。
石垣のようにそそり立つ「切岸」や敵を阻む「堀」が随所に設けられ、築城技術が明らかになっている。同展は5月10日まで。
(伊藤志郎、写真も)





