トップ文化川港と酒蔵が独自の景観 京都・伏見 歴史散歩 船宿「寺田屋」や十石舟

川港と酒蔵が独自の景観 京都・伏見 歴史散歩 船宿「寺田屋」や十石舟

酒蔵の傍(そば)を遊覧船「十石船」が行く=京都府京都市伏見区
酒蔵の傍(そば)を遊覧船「十石船」が行く=京都府京都市伏見区

 京都・伏見(ふしみ)といえば最近は、伏見稲荷大社(いなりたいしゃ)の朱塗りの鳥居のトンネル「千本(せんぼん)鳥居」の写真がSNS上で話題となり、外国人観光客が多数訪れるようになった。それに刺激されて、日本人もこれまで以上に訪れるようになった。

 しかし伏見は、何より酒造りの町、そして歴史ファンにとっては、坂本龍馬が危うく難を逃れた寺田屋のある町である。

 行政上は京都市伏見区になるが、もともとは城下町として独自の位置を占めていた。町を歩くと、京都とはまた違った文化が育まれてきたことに気付く。

 伏見の繁栄は文禄元(1592)年、豊臣秀吉が、大坂と京都を結ぶ交通の要衝に位置する桃山丘陵に伏見城を築いたことに始まる。秀吉がここで没した後、子の秀頼(ひでより)は大坂城に移り徳川家康がこの城に入り政務を執った。

 その後、政治の中心が江戸に移り、城は破却され、大名屋敷も取り壊されるが、伏見は川の港を持つ港湾商業都市へ性格を変えていく。その後、京都の商人・角倉了以(すみのくらりょうい)、素庵(そあん)によって京都中心部と伏見を結ぶ高瀬川が開削されると、淀川と結ぶ伏見は「十石舟(じっこくぶね)」「三十石船」が行き交う京・大坂の交通の要衝として栄える。落語の「三十石」は、夜、伏見の港を出て朝大坂に着く旅客船を題材にした噺(はなし)。当時の船内の雰囲気を面白おかしく伝えている。

歴史ファンに人気の「寺田屋」=京都府京都市伏見区
歴史ファンに人気の「寺田屋」=京都府京都市伏見区

 幕末、「寺田屋事件」が起きた寺田屋は、三十石船の出る「寺田浜」という船着き場を持つ船宿だった。文久2(1862)年、寺田屋に集合した尊皇攘夷(そんのうじょうい)派の薩摩藩志士たちに公武合体論の島津久光が討手を送り、志士6人を上意討ちにした。

 慶応2(1866)年には、ここに宿泊していた坂本龍馬が伏見奉行の捕り方(役人)に襲撃され、妻お龍(りょう)の機転で龍馬はピストルで応戦。裏階段から庭に出て逃げ延びた話は有名だ。

 その後、寺田屋は鳥羽伏見の戦いで兵火に遭い、現在の建物はその後間もなく再建されたものという。それでも往時の雰囲気は十分偲(しの)ぶことができる。中の展示は、坂本龍馬に関する物が圧倒的に多い。もう少し薩摩藩士に関する物もあっていいのではないかと思うが、やはり龍馬とお龍の逸話に引かれて来る人が多いのだろう。

 東側の庭には、明治37(1904)年に建立された薩藩(さっぱん)九烈士遺蹟表記念碑が立っている。

 寺田屋から歩いて5分くらいのエリアには大きな酒蔵が並んでいる。造り酒屋の当主を二代目中村鴈治郎(がんじろう)、息子の嫁を原節子が演じた小津(おづ)安二郎(やすじろう)監督の映画「小早川家の秋」(昭和36〈1961〉年)のロケ地にもなった。

 京都は昔ながらの町家が魅力だが、伏見の酒蔵の風景はまた独特だ。小津の映画でもこの風景は欠かせない要素となっている。

 かつて港があった宇治川派流の川べりはきれいに整備され、遊覧用の十石舟が運航している。船の上から酒蔵の並ぶ町並みや季節ごとの花を楽しむことができ、ちょうど今、桜の見頃を迎えている。

(特別編集委員・藤橋 進、写真も)

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