
指導者たちが軍部の暴走を止めることができず、日本は無謀な戦争に突き進み、国民は塗炭の苦しみを味わった――。戦後定着した戦争に至る昭和史のイメージは大体こんなものだが、往々にして国をリードした人たちの苦闘が霞(かす)んでしまいがちだ。そんな中で井上寿一(としかず)氏の『昭和史の逆説』(新潮新書)は、コンパクトながら先人たちの失敗を含む苦闘を鮮やかに描き出した一冊だ。
「昭和史は逆説の連続であり、事実それ自体が物語性に満ちている。希望は、逆説の激流が押し寄せてきて、絶望へと変わる。夢は悪夢だったとわかる。民主主義が進展した結果、『ファシズム』に至る。平和を求めていたはずなのに、戦争の泥沼に転落する」(まえがき)のだ。
第一章で、昭和元年に始まる山東出兵が取り上げられ、それは国際協調が目的だったことが縷々(るる)説明される。出兵を行った田中義一(ぎいち)首相は、昭和3年に起きた張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件で、当初関係者の厳しい処分を表明しながら陸軍からの圧力で腰砕けとなり、昭和天皇の信任を失って失脚するなど、陸軍出身の悪役のイメージがある。しかし山東出兵では、居留民保護の目的を達成すると直(す)ぐに撤兵し、欧米諸国との協調関係を維持した。
もう一人昭和史の悪役、満州事変後、国際連盟脱退時の全権代表で、外相時代には三国同盟を締結した外交官、松岡洋右(ようすけ)については、実は連盟脱退には反対していたことが語られる。それはみな本国政府、内田康哉外相の指示によるものだった。松岡は英国などの仲介による残留の道を探り、本国政府に必死に訴えるが、理解を得られなかった。
松岡が堂々と脱退演説をし会場を後にするニュース映像が残っているが、帰国した際は、脱退の立役者、国民的英雄として熱狂的な歓迎を受ける。しかし、松岡はラジオでの国民向けの演説で、脱退回避に失敗したことを「私の不徳、洵(まこと)に国民諸君には申し訳ない」と謝罪している。
第五章では「奇妙なこと」として、「戦争の最大の被害者であるはずの労働者や農民、女性こそがもっとも強く戦争を支持していた」ことを取り上げる。著者は、その理由を、社会大衆党が積極参加した「近衛(このえ)新体制」への国民の期待や戦争景気による雇用環境の改善、女性の社会進出などの観点から解明していくのである。著者は書いていないが、素朴な愛国心を最も強く発揮するのは、どこの国でもこれらの人々だ。
著者は、「作中の人物が見聞きし、考えたことだけから歴史を再現」するという方法を取ったと書いている。松岡洋右、近衛文麿、そして昭和天皇の意向を受け戦争回避に努めるが最後は開戦を決断した東條英機などだ。それを知れば、歴史の結果を知る立場から、簡単に過去を裁くことがいかに傲慢(ごうまん)であるかが分かるだろう。
(特別編集委員・藤橋 進)






