
内村鑑三の人生は過去の義人たちがたどった信仰の道を同様に歩んできたものだった。義人とはアウグスティヌス、ルター、ウェスレーたちだ。彼らの信仰はロマ書によるもので、内村はその原理を三つのキーワードで示した。
第一は「義人は信仰によりて生くべしとあるがごとし」(第1章17節)。
第二は「すべての人、罪を犯したれば、神の栄光を受くるに足らず、功なくして、神の恩恵によりキリスト・イエスにある贖罪によりて義とせらるるなり」(第3章21節~24節)。
第三は第13章11節から14節で、「あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救いが、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである…」。
つまり、十字架のキリストを仰ぎ見ること、復活したキリストを仰ぎ見ること、再臨すべき彼を仰ぎ見ること、これによって義とされ、聖化されるという。これは自己の功、行、積善、努力によって達成されるものではない。
内村は善と思うことをすべて実行してみて、その結論を語った。それを自叙伝の一環として綴(つづ)ったのが『求安録』(明治26年)だった。
「人は罪を犯すべからざるものにして、罪を犯すものなり。彼は清浄(せいじやう)たるべき義務と力とを有しながら、清浄ならざるものなり。彼は天使となり得るの資格を備へながら、屡々禽獣にまで下降するものなり」
この悲嘆から始まり、「脱罪術」という項目が八つ続く。これは自力でもって善をなし、罪を脱し、清浄たる境地に至ろうとしたがすべて失敗したという話だ。具体的には学問、天然の研究、慈善事業、神学研究など。
だから内村は語る。
「余自身、またこの書によって救われし一人である。儒教国に育ちしわれらは、キリスト教をもって聖人君子たるの道と考え、完全なる道徳状態に達せんことを信仰の目的と考えやすい。しかる時、おのれの実情がおのれの理想とそわざるため、苦悶懊悩の襲うところとなるのである」
日本では解決する道がなくて、米国に渡った。最初に苦悶懊悩(くもんおうのう)に襲われたのは結婚を体験した時だった。
「僕には、全宇宙が混乱と矛盾と無情だらけである。人生は―その外の衣は愛くるしく人の心をひくが―幻影にすぎない。被いを取れば、あらゆる種類の憂うつな動物に満たされた、見るも怖ろしい野獣の集合である。愛くるしい部分だけを限って見、醜いところを知る要のない者は幸いである」(宮部金吾宛、書簡、明治17年10月27日)
この問いに解決の糸口を示してくれたのがアマスト大学のシーリー学長だった。「なんじ、みずから義たらんとするなかれ」「ただ十字架のイエスを仰げ。さらば平安なんじに臨まん」と。
ここが内村の信仰の出発点だったので、長い歳月を経てロマ書に戻ってきたのだ。
(増子耕一、写真も)






