トップ文化梯久美子著『昭和の遺書』 「遺書」から聞く「時代の声」 【昭和100年を読む】

梯久美子著『昭和の遺書』 「遺書」から聞く「時代の声」 【昭和100年を読む】

梯久美子「昭和の遺書」
梯久美子「昭和の遺書」

 戦争、復興そして高度成長と激動の昭和には多く遺書が書かれた。鋭く時代を予感した文学者の芥川龍之介から始まり、二・二六事件の磯部浅一、東條英機ら軍・政府の首脳、特攻隊員、石原裕次郎と美空ひばりなど戦後のスター、そして昭和天皇など、時代をつくった人々、あるいは時代を象徴した人々の遺書を集め、そこから「時代の声」を聞き、人間の生と死を見詰める。

 「前線に散った人々」の章では、「二十代の若者が、これほど多く遺書を書いた時代は、史上例がないのではないだろうか」として、特攻兵の遺書が取り上げられる。特攻兵・林市造の遺書を紹介し著者は言う。「感謝と信頼と愛情を平明で美しい言葉に託して贈る。それは、最愛の息子を今まさに失おうとしている母を思い、その余生をなぐさめるための行為だったのではないか」

 東條英機の所では、夫人に残した俳句と遺書の末尾の辞世も紹介している。俳句は<命二つよく持ちにけりことしの秋><ただ一羽渡る雁あり胸いたむ>。「たったひとり遺される辛さを思いやってのものではないか」という東條夫人の言葉を紹介している。辞世<我ゆくもまたこの土地にかへり来ん国に酬ゆることの足らねば><さらばなり苔の下にてわれ待たん大和島根に花薫るとき>

 「遺書」ではなく、故人が最後に書いた手紙や原稿も含む。東宮参与として皇太子(現上皇陛下)の教育係を務め「日本の良識」と呼ばれ慶応義塾塾長を務めた小泉信三が、急死する前夜、校正刷りに朱を入れていた随筆の文章などがそれだ。戦火を生き延びて、子供も立派に成長したという未知の人から歌集を送られたことを書いたもので、最後は次のような文章で終わる。

 <全く見知らぬ人々であるが、私はその人々に向かっていいたい。健やかなれ、幸ち多かれ、父母の辛苦に報いあらしめよ>

 著者はこの最後の一文を「戦争を生き抜いた父母を持つ、すべての人々へのメッセージと受け取れる」とし、「文筆家の絶筆には、その人の人生が端的にあらわれることがある。遺書のつもりで書いたわけではないのに、最後に書いた文章が本人の生き方や人となりを絶妙にあらわし、また遺された者へのメッセージとなっている」と言う。

 東京オリンピックの男子マラソンで銅メダルを獲得し、メキシコ五輪では金をと期待された円谷幸吉は、怪我(けが)と重圧のためオリンピックの年が明けた昭和43年1月に自殺した。「父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい」という遺書の言葉は、あまりに切なく痛ましい。

 「オリンピック選手は、自分のためというよりも国のためにメダルを目指す時代だった。加えて円谷には、自衛隊からのプレッシャーもあった」という。まだ自衛隊への反発が強かった時代で自衛隊の円谷への期待は大きかった。時代の犠牲者にも思える。円谷の自死は、自分を殺して働いた高度成長期の象徴でもあった。

 最終章「大いなる終焉へ」では、昭和天皇の崩御を挟んで相次いで亡くなった昭和の大スター、石原裕次郎と美空ひばりを取り上げる。「廃墟から立ち上がり、懸命に働いて国を復興させ、豊かな生活を手にいれた戦後の日本人の傍らには、つねにこの二人がいた」とし、「二人の死は、歴史年表の中の昭和ではなく、庶民の実感としての昭和が終わったことを象徴する出来事だったといえるだろう」としている。巻末に「補論 平成の遺書を読む」を加える。            (特別編集委員・藤橋 進)

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