
梅まつりの便りが寄せられる季節だ。住宅地を散歩していて、庭に咲いたウメの花にも風情があって心惹(ひ)かれる。見ているとメジロが花をつついたりしている。
ウメには実ウメと花ウメがあって、花ウメは観賞用。『神代植物公園』(東京公園文庫、郷学舎)によると、花ウメの多くは小型で果肉が薄く、食用にしても核ばかり大きく、食べる所がないという。また紅梅は苦みがあり、実用にはならないそうだ。
花ウメの品種改良が盛んだったのは江戸時代。旗本の春田久啓(ひさとお)(1762~?)は拝領の屋敷に数百株のウメを栽培し、図譜『韻勝園梅譜』(1811年)を残した。約100種を記録していて、日月(じつげつ)梅、躑躅(つつじ)梅、紅牡丹(べにぼたん)など13種類は、春田の作出したウメだという。
江戸時代はまた茶の湯の盛んになった時代で、茶道は禅との関係、とりわけ千利休ゆかりの臨済宗大徳寺派の貢献によるところが大きい。そのために彼ら禅僧の手になる書、一行物が、茶室の掛け軸の主流をなすようになる。
茶会が頻繁に催されるようになると、掛物も求められるようになる。そして禅語の茶掛けには、禅の公案や故事を踏まえた物も多かった。
春の茶室にはウメにまつわる禅語もよく登場した。一例を紹介してみよう。
「一点梅花蘂三千世界香」という禅語がある。「一点梅花の蘂(ずい)、三千世界香(かんば)し」と読む。寒気に耐えて、他の花に先駆けて咲くウメの香りは芳しい。が、ウメ一輪で世界中が芳しくなるというのはなんとも大げさな表現だ。
文学博士の芳賀幸四郎は『禅語の茶掛け 続々一行物』(淡交社)でこれを解説し、誇張を嫌う禅僧が好んでこの言葉を揮毫(きごう)してきた理由について述べている。
醜い利害打算の横行する現実の世界は誠に住みにくい苦の娑婆(しゃば)。しかし悟りを開き、利害、得失、美醜、勝敗など一切の対立を超越した絶対世界に入ってみれば、その苦の娑婆そのものが寂光の浄土であり、大光明を放っていることに気付くのだという。
『法華経』で釈迦が「一切治生(ちしょう)産業、皆実相と相反せず」と語ったのは、この間の消息を伝えるもの。禅者は、現実の世界がそのまま寂光の浄土、香気馥郁(こうきふくいく)たる世界に一変することを、ウメが一輪咲けば三千世界が芳しくなることに似ている、と例えてこの句を珍重してきた。
ウメの香りを讃(たた)えただけでない、悟りの世界を伝えた禅語だ。芳賀幸四郎は人間禅教団の師家だった。
(増子耕一、写真も)






