
中国5000年の歴史という言葉がある。1996年にNHKスペシャルで放送された番組「故宮~至宝が語る中華五千年~」でも使われた言葉だ。
この5000年という歴史について、これは史実ではなく現代になって書き換えられたもの、と指摘するのはモンゴル人で静岡大学教授の楊海英氏。著書『中国を見破る』(PHP新書)で、これは中国が国を挙げて取り組み、2000年に終了した「夏商周年表プロジェクト」によるものと指摘する。これに対する批判は欧米ばかりか中国内部でも上がった。
中国社会科学院教授の呉鋭氏によれば、連綿と続く中国史はあり得ず、中国政府が主張する「中国史=漢族史」は成立しないと否定する。
日本には中国の文化や歴史に詳しい人がいた。四書五経など漢籍が読まれてきたからだ。しかしそれは日本流に解釈されたもので、本当に正しい理解かどうかは疑問だと楊海英氏はいう。
モンゴルで生まれ、中国統治下で育ち、日本人になった経験から言えば、日本流中国理解は、中国人から見た中国文化とは完全に異なるもので、理解の妨げどころか、マイナスをもたらす可能性が高いという。
ところで1960年代半ば、日本の文学者たちが中国作家協会に招待されて、各地を旅し、見聞し、接待を受け、旅行記その他で紹介してきた。
今、それらを読み直してみると、彼らの中国古典に関する教養ゆえか、「マイナスをもたらす可能性が高い」という楊氏の言葉が正しかったことが分かる。
司馬遼太郎の『長安から北京へ』(中央公論社)を開くと、中国政府がなぜ力を入れて日本人作家たちをもてなしてきたかが分かる。それは外交機関によるものではない、私人によるもう一つの外交だったからだ。
「国家が、その関係機関をあげて私人を招ぶのである。その熱意たるや、相手が日本なら日本で、事情さえゆるせば一億をことごとく招びたいというほどの腰の入れ方なのである」「外交機関による外交などというものはある程度、理念的で習慣的で、その意味でいえばツルツルしていて、ときにお座なりで絵空事であることが多いが、個人個人と『友人』になるということは、具体的そのものなのである」
そのようにして中国の応援団となって帰国した作家らは多かった。
司馬遼太郎も亀井勝一郎(「中国の旅」の著者)も、中国を歩いてみて、共産主義によって人民が生き返ったという〝事実〟を伝えている。有吉佐和子は「中国は、なんとなく〝こわい〟感じがしていましたが、とんでもない思い違いでした。みなさん陽気で、明るくて、建設の息吹にあふれ、自信を持っています。未来への展望があります」と語り、池田大作創価学会会長に中国を紹介した。外交は成功。
司馬のこの著書には日本と中国の指導者らを比較した次のような一節がある。
「将軍という為政者は鎌倉、室町、江戸を通じ、大名対策をおこなう存在であったが、人民をなんとか幸福にさせたいという思想は本来、絶無に近いものであった。中国では紀元前から曲がりなりにも政治とは人民のためのものであり、人民を離れて政治思想はないという伝統が継続してきたが、日本の歴代の権力にはそういうものがほとんどない、と言いきってしまっても本質を外れることはない」
共産主義革命の過程で、中国では6500万人が虐殺された事実(『共産主義黒書』)が考慮されることはなかった。
(増子耕一)





