
この講演の筆記者、畔上(あぜがみ)賢造は内村の講演に先立って「羅馬書研究」を13回にわたって『聖書之研究』(208号~221号)に連載していた。その以前にもロマ書に関して「信仰生活の要領」(204号)、「パウロの歴史哲学(上中下)」(205号~207号)を掲載。これらは「ゴーデー氏の注釈によること十中八、九なり」というもの。内村はこれを参考にしたが、独自の洞察と考察、自己自身の人生体験を基にロマ書を論じた。
彼はかつてジャーナリストであって、その論の進め方は最初に結論を提示するというもの。それに従って第一講で「ロマ書の大意」を語った。主題について述べるのだ。
パウロのこの著作が幾たびも世界を改造してきたその原理というものは、社会の外部的制度に関するものではなく、人間自身の心霊の改革を主眼とするもの。それが原因となって外に影響を及ぼしたという。これが神の道だった。パウロの言葉でこの主題を次のように示した。
「われは福音を恥とせず。この福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人、すべて信ずる者を救わんとの神の大能たればなり。神の義はこれにあらはれて、信仰により信仰に至れり。しるして、義人は信仰によりて生くべしとあるがごとし」(1章17節)
これがロマ書の主題となる重要な言葉で、アウグスティヌス、ルター、ウェスレーなど、これによって世界を変革してきたという。
ところでイエスの公生涯の終わりは突然やってきた。なぜなのかは弟子の誰ひとりとして知らなかった。
しかしイエスはガリラヤ巡回中にそのことを予示していた。
「この時より、イエス、その弟子に、おのれのエルサレムに行きて、長老、祭司の長、学者たちより多くの苦しみを受け、かつ殺され、三日目によみがえるなど、なすべきことを示し始む」(マタイ伝16章21節)と。
死の決心の意味をも語る。
「かくのごとく、人の子の来たるも人を使うためにあらず、かえって人に使われ、また多くの人に代わりて生命を与え、そのあがないとならんためなり」(同20章28節)
その言葉の通りイエスは十字架上で命を捧(ささ)げた。弟子たちはこれを見て失望し、恐怖に襲われて逃げ去ってしまった。しかし父なる神はイエスを復活させ、そして昇天させた。
勃然と弟子たちに力ある信仰が起こった。生前の教えを想起し、イエスの神性を信じ、併せて十字架の贖罪(しょくざい)と再臨をも信じるようになった。
ここにキリスト教が成って宣教が開始されたが、十二使徒らは単純朴実の民。その信仰を理論的に説明することはできなかった。そこで神は敵の中から使徒パウロを召命した。パウロは痛切な謝罪をし、神の黙示に接しようと荒野をさまよい、贖罪に関する理論的根拠を見いだす。それを示したのがロマ書だという。
(増子耕一、写真も)






