トップ文化武蔵野の戦争遺跡/東京都武蔵野市 中島飛行機工場が爆撃照準点に 爆撃機B29による9回の空襲

武蔵野の戦争遺跡/東京都武蔵野市 中島飛行機工場が爆撃照準点に 爆撃機B29による9回の空襲

かつて中島飛行機多摩製作所のあった都立武蔵野中央公園
かつて中島飛行機多摩製作所のあった都立武蔵野中央公園

 東京都武蔵野市は戦前・戦中に航空機エンジンを製造した中島飛行機武蔵製作所があった所。軍需工場であったため米軍による攻撃目標となり、1944年11月24日の初空襲から終戦まで9回の空襲を受けて、多くの犠牲者を出した。

 今年は終戦80年。11月24日は「武蔵野市平和の日」で、記念イベントやパネル展などが開催された。「武蔵野の戦争遺跡を訪ねる平和散策マップ」(武蔵野市観光機構)もあり、これを参考に中島飛行機武蔵製作所のあった所を訪ねてみた。

 マップには四つの散策コースが紹介されている。それだけ被害地が広く、被害も甚大だったということだ。目指したのは中島飛行機工場があった所。

 JR三鷹駅北口から柳沢駅行きのバスに乗り、北に向かって進み、武蔵野中央公園で下車。公園には入らず、近くにある延命寺に行ってみた。真言宗智山派の寺院で、江戸時代中期の創建。公園から南に200㍍の所で、境内に爆弾が落ちて被害を受けた。

 本堂近くに33回忌の1978年に建立された平和観音像がある。台座には空襲の経緯や犠牲者の名前が記されている。250㌔爆弾の不発弾破片もあった。変形して錆(さ)びている。

 道を戻って公園に。実に広々とした都立公園だ。中央に広場、周囲に木立。正面入り口右側の木立の中に「武蔵野市平和の日」制定記念樹がある。この木はクスノキで、長崎の山王神社で被爆した木の2世。武蔵野市の木であるハナミズキと並んでいる。

 武蔵野製作所(武蔵野市緑町)が開設されたのは1938年で陸軍専用。41年にはその西隣に海軍専用の多摩製作所(武蔵野市八幡町)が開設された。ここが中央公園となった場所だ。地下1階地上3階の鉄筋コンクリートで、東西六つの塔が中央で連結された大工場だったという。

 戦後は廃虚となり、改修されて米軍住宅グリーンパークに。その後、米軍施設が撤去され、89年都立公園に。被爆の悲惨さをとどめず、あっけらかんとしている。

 そこから東に歩いて行って都営武蔵野アパートの敷地に入り、少し北に行くと、中島飛行機武蔵製作所爆撃照準点に至る。2018年に都立公園が東側に拡張され、そのエリアの北に円形広場ができた。ここが狙われた場所だ。

 中央に樹木、周囲に説明板5枚が設置されている。ベンチもあり、一休みする人たちがやって来る。

 説明板によると、ここは東洋一と言われた航空機エンジン工場の跡地。中島飛行機株式会社は戦前、航空機製造のトップメーカーで、日中戦争(1937~45年)、太平洋戦争(1941~45年)の時に急成長。零式戦闘機(ゼロ戦)、一式戦闘機(隼〈はやぶさ〉)のエンジンが作られ、日本本土空襲の最初の目標となったという。

 空襲は44年11月24日、12月3日、12月27日、45年1月9日、2月17日、4月2日、4月7日、4月12日、8月8日。9回に及んだ。工場内だけで死者220人、負傷者266人。

 「平和散策マップ」に、8月8日に爆撃された時の航空写真が掲載されている。地上とB29が写っていて、青梅街道がくっきりと見える。

 米軍は44年11月7日にも、爆撃前に偵察し、全写真を撮影。マップを監修した牛田守彦さんは9回の空襲について米軍資料を使って詳述している。この資料はこの夏、三鷹市での講演会で紹介されたもので、米軍は機数や作戦任務、爆弾数を記録していた。

(増子耕一、写真も)

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