
39歳の若さで他界した天才作家・高橋和巳の『邪宗門』は、国家から不当な弾圧を受ける新興宗教団体の盛衰を、文庫本にして1200ページの紙幅を割き、壮大なスケールで描いた長編小説だ。『朝日ジャーナル』で1965年(昭和40年)1月から1966年(昭和41年)5月末まで連載され、大幅な加筆修正の上、66年に河出書房新社より上下巻で刊行された。
物語は3部構成となっている。第一部は1930年代初め。農民の行徳まさを開祖とする新興宗教「ひのもと救霊会」は、まさの養子で2代目教主・仁二郎の時に神殿を破壊されるなど政府から弾圧を受けていた。弾圧の理由は、開祖の「お筆先」と呼ばれる浄土宗的な終末観と、既存の教派神道の色合いを併せ持つ「世なおし」を訴える教義が、治安を乱し国体の変革を目指す恐れがある、というもの。だが実際は「社会不安におののく民衆の気をそらせ、他人の禍を喜ぶ悪魔ごころを煽る、その生贄にえらばれた」と作中人物語らせている。
弾圧の影響により地方組織が分離独立して組織は内部分裂し、教主や幹部たちは逮捕され、原因不明の火事で教団施設は焼失、教団は壊滅状態となる。物語冒頭、母の骨壺(こつつぼ)を抱えた少年が、「救霊会の墓に埋めて欲しい」との母の遺言に従って餓死寸前の状態で教団にたどり着くが、この少年・千葉潔が後のストーリーで重要な役割を果たすことになる。
非合法化され、興隆時100万だった信徒数も40万にまで減る。第二部では1940年から翌年12月の太平洋戦争開戦まで「かくれ宗教」としての活動を描く。そして敗戦。第三部では成人した千葉潔が3代目教主を受け継ぎ、民主化された世の中でいよいよ平和の宗教として教団を再建していくかと思いきや、自身が胸中ずっと温めていた革命思想の実現のために教団を破滅に追い込んでいく。
『邪宗門』は大正から昭和初期に弾圧を受けた宗教団体「大本教」にヒントを得て書かれたものだが、高橋和巳はこの作品を書くに当たり、現存する2、3の宗教を遍歴して参考にはしたものの、作中の教団の教義・戒律・組織・運動の在り方は長年自身が温めてきた架空のもので、いわば「我が『邪宗』のすがた」だ、とあとがきに記している。
高橋は作中、新興宗教の登場こそが精神のルネサンスをもたらし、それを欠いては民衆はただ国家宗教を仰ぎ見るだけに終わり、宗教的生命を体験することは不可能、と教主に語らせる一方で、「いっさいの宗教は、これが宗教であるかぎりにおいて、被搾取者に忍従を教え、結局は権力者と取りひきして私腹をこやす以外のなにごとをもなしえない」「宗教はつねに不合理な恐怖にもとづき、恐怖をそそりつつ、恐怖に育てられた。自らの権威を守らんがためには、どんな恐怖でもあらたに作りあげるであろう。それがいっさいの宗教と教会の本質である」と、教団を非難する全労系機関紙に語らせる。
時代の政治的社会的状況がこと細かに描写され、そのまま日本の近代史をたどれる内容であるとともに、千葉潔の内的成長を軸として哲学や宗教、思想的内容も盛り込まれており、教養小説とも言える作品だ。作者の研ぎ澄まされた知性と、圧倒的な知識と教養、そして凄(すご)みを感じさせる傑作である。
(長野康彦)






