トップ文化江藤淳著『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』【昭和100年を読む】

江藤淳著『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』【昭和100年を読む】

閉ざされた言語空間
閉ざされた言語空間

メディアもタブー共有

 なぜ日本には日本人でありながら反日的思想を持つ人が少なからずいるのか。その秘密は敗戦後の占領期にあると思われるが、江藤淳の占領時代研究の集大成『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』(文春文庫)は、その背景を考える上で欠かすことのできない本だ。

 昭和53年の本多秋吾との「無条件降伏」論争をきっかけに占領研究に打ち込むようになった江藤は、翌昭和54年10月から9カ月間、米国ワシントン市のウィルソン研究所に赴き、占領軍が日本で実施した検閲に関わる文書の調査に没頭する。この調査によって占領軍が日本の新聞や雑誌などに行った検閲の実態が始めて明らかにされた。

 江藤は、連合国軍総司令部(GHQ)が残した命令書などを調べ、検閲を担当した民間検閲支隊(CCD)がどのような方針、体制によって、どのように検閲を実施していったかを明らかにしていく。それは戦犯容疑者やブラックリストに載る人物に関する私信の検閲も含んでおり、実に膨大で徹底したもので、かつ巧妙なものだった。その作業には5000人以上の日本人も雇われた。

 占領軍の検閲は、検閲を行っていることを完全に秘匿しながら進められた。検閲箇所を伏せ字にするなどその痕跡を残した戦前の日本政府の検閲と違い、はるかに狡猾(こうかつ)なものだった。占領軍が検閲の実施を秘匿し続けたのは、米国が自由と民主主義を掲げることと矛盾するからであった。日本占領の根拠となっているポツダム宣言第10項にも「言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は、確立せらるべし」とある。

 占領期の検閲が、後々まで影響を及ぼしたのが、プレスコードによる新聞検閲だ。初めは抵抗した新聞も、発行停止処分などで圧力をかけられ完全にGHQのコントロール下に置かれる。しかも検閲されている新聞もそのことをひた隠しにした。

 江藤は、そうする中で「検閲者と被検閲者とのあいだにおのずから形成されるにいたったと思われる一種の共感関係」を指摘する。タブーの共有で、文芸評論家・江藤ならではの鋭い指摘だ。

 江藤は言う。「表の世界の〝解放〟は、影と闇の世界の黙契を支える〝恐怖〟の裏付けを得て、はじめて日本人の『精神にまで立ち入り』、これを変質させる手がかりをつかんだのである」

 占領軍の検閲を調べて行く中で、江藤が浮かび上がらせた重要な点は、検閲が日本人に戦争についての罪悪意識を刷り込ませる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の存在だ。

 新聞は検閲を受けるだけでなく、一斉にGHQ肝煎りの『太平洋戦争史』の連載を始める。この時から「大東亜戦争」は「太平洋戦争」に改められ、「軍国主義者」と「国民」の対立図式が作られた。この閉ざされた言語空間は、今も日本を覆っていると江藤は言う。

 本書の「文庫本へのあとがき」には、歌人で歌会始の選者を務めた岡井隆が私信で「この本は、今の日本人が、必ず読んで置くべき重要な文章と思ひます。多くの人が読むことができるように御高配ください」と文庫化を要望してきたことが記されている。

(特別編集委員・藤橋 進)

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