
東京都三鷹市に三鷹市吉村昭書斎がある。
京王井の頭線の井の頭公園駅から徒歩3分の所で、線路沿いにある。
吉村昭氏と妻・津村節子さんの自宅は井の頭公園の近くにあったが、昨年3月、三鷹市が吉村の書斎をここに移築し、夫妻の暮らしと作品を紹介している。交流棟では2人の著書と暮らしを紹介し、書斎棟は往時のものをそのまま再現している。
今年は戦後80年で、「吉村昭の戦史小説」を展示している。書斎棟に入った所が展示室で、奥が茶室。右手が書斎だ。
紹介されているのは長編小説『戦艦武蔵』(昭和41年、新潮社)と、沖縄戦を舞台に少年兵を主人公にした『殉国』(昭和42年、筑摩書房)などに関する資料だ。
戦艦武蔵は昭和13年3月29日、三菱重工業長崎造船所で起工され、建造に4年余。準備期間を入れれば10年という歳月をかけ、最も優れた人間の頭脳と技術と莫大(ばくだい)な資材が投入された。だが、同19年10月24日、1000余名の乗組員と共にレイテ沖の海底に沈んだ。
実際にその姿を見た者は、建造に携わった人々、乗艦した将兵たち、それを爆沈するために攻撃した米国の航空兵たちだけ。一貫して触れ続けた人はいなかった。
吉村は執筆の経緯や調査、出版後の反響などを『戦艦武蔵ノート』(昭和45年、国書出版社)に綴(つづ)った。聞き取り調査は87人も及び、ある人物には30回近く会い、不明な点があるたびに電話で聞いたという。その動機をこのノートに記している。
戦後20年がたってみると、あの8年間の戦いの歳月は何だったのか、と問うようになる。回想する発言が繰り返されるたびに疎外感を味わい、戸惑い、それは吉村が見た戦争とはまったく別の出来事のように思われたという。
それを知人に打ち明けると共感を得て、やがて戦艦武蔵の資料の山に出くわす。
『殉国』の沖縄取材では、1カ月半の滞在で約90人の聞き取り調査をしたという。朝9時から夜12時まで。大学ノート13冊、録音テープ4巻に及んだ。現地から妻の節子さんに宛てた手紙も展示されている。
書斎に入ると、机は長く大きく、多くの資料を置けるもの。窓に面していて、他の壁面は書類の整理棚や本棚。『長崎市史』『新聞集成 明治編年史』などが並んでいるが、「長崎関係の資料が現地より揃(そろ)っている」と節子さんは語っていた。
令和8年1月12日まで。
(増子耕一、写真も)






