トップ文化『ロマ書の研究』① 望みを実現させた講演会

『ロマ書の研究』① 望みを実現させた講演会

イエスが十字架を背負って歩いたというエルサレムのヴィア・ドロロサ
イエスが十字架を背負って歩いたというエルサレムのヴィア・ドロロサ

 再臨運動の後、内村鑑三の社会的活動の中心は聖書講演会となる。会場は大手町の大日本私立衛生会。「それは東京市の中央、内務省正面前、近くに宮城を千代田区の丘に仰ぐ所」。ここで行ったのがモーセの十戒、ダニエル書、ヨブ記、そしてロマ書の講演だった。

 著書『ロマ書の研究』は大正10(1921)年1月16日から翌年10月22日まで行われた60回に及ぶ連続講演がもとになっている。力の入った大講演で、その都度、畔上(あぜがみ)賢造の筆記と加筆がなされ、『聖書之研究』に掲載された。

 内村としては畔上との共著として出版するつもりで、「君の研究も加へて自由に改修して、あたかも自分の著作のやうな考えでやって貰いたい」と助言。共著にはしなかったが、考えは内村、文章は畔上のものとなった。

 畔上の文章に不足さを覚えたのか、途中から内村は、自分の記した「約説」を加えて掲載するようになる。「両編を合せ読んで更に深くパウロの言を味はわれん事を望む」とした。

 内村には一生の望みがあったという。

 「それは日本全国に向かってキリストの十字架の福音を説かんことであった」 明治11(1878)年、札幌で初めてキリストを信じた時のもので、ようやく44年目にして実現させた。生涯の総決算としての意気込みは大きく、聴講者の筆記用として、ページごとに白紙をとじ込んだロマ書を聖書協会に製本してもらって、希望者に分けたそうだ。会場に空席はなかった。

 その聴衆の1人が、その日に上京してきた札幌農学校時代の同窓、北海道大学総長の佐藤昌介だった。内村はありがたく思って東京駅で会い、昼食を共にし、学生時代を懐かしんだ。

 「四十三年前に札幌農学校の寄宿舎において、君が年長者として主会者となり、二十余名の学生が日曜日ごとに開きし聖書研究会がついに今日の東京中央の研究会となったのである」「日本人は外国人の手を借りずして日本人自身によりて福音化されざるべからずとは我等がその時相互に誓ひしところである。しかしてその聖き誓約が大正十年の今日実現されつつあるは実にふしぎといわざるを得ない」と内村は日記に記した。

 毎回、600人から700人を超える聴衆が集まった。キリスト教関係者だけではなかった。序にこう記した。

 「聴衆はすべての階級を網羅し、キリスト教各派の信者、教会以外の信者、またみずから信者と称せざる者、また仏教の僧侶さえをもその内に見た。実に日本にキリスト教が伝えられて以来いまだかつて見たことのない聴衆であったと思う」

 過去講じてきたダニエル書、ヨブ記、ロマ書、共観福音書の中でロマ書は、内村にとって「最も深く興味を感ぜしもの」で、「この書を解せずしてはキリスト教を解することはできない」と語る重要なもの。

 「また余の四十七年間の信仰の生涯において、余が最も注意して研究したりと思うはこの書である。余はロマ書を講じて、余自身の信仰を語ったのである」

 これらの言葉を少し考えてみると、イエス・キリストの言行録である共観福音書だけでは、内村の信仰は成立しなかったと言えるのだろう。

(増子耕一、写真も)

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