トップ文化日本中を旅して作品残す 生誕140年、没後90年 『竹久夢二のすべて 画家は詩人でデザイナー』福島県立美術館

日本中を旅して作品残す 生誕140年、没後90年 『竹久夢二のすべて 画家は詩人でデザイナー』福島県立美術館

展覧会「竹久夢二のすべて 画家は詩人でデザイナー」(福島県立美術館)
展覧会「竹久夢二のすべて 画家は詩人でデザイナー」(福島県立美術館)

元郡山市立美術館長の鈴木誠一氏が講演会

 メランコリックな表情を湛(たた)え、しなやかで優美な和服姿の美人画で有名な大正ロマンの画家・竹久夢二は、詩や短歌、俳句も詠み、小物のデザインや本の装丁も手掛けるクリエーターでもあった。夢二生誕140年・没後90年を記念してその多才な魅力に迫る企画展が福島県立美術館で開催されている。

 会場には作品約230点が展示され、福島会場のみの特別展示として本県ゆかりの風景画や美人画の作品約20点が紹介されている。

 10月25日には「夢二・漂泊の軌跡 ふくしま編」と題する講演会が開かれ、元郡山市立美術館長の鈴木誠一氏が、夢二の足跡や作品紹介、福島との関連を語った。

 鈴木氏は、「夢二は漂泊の画家とも言われ、西行や松尾芭蕉のように日本全国を旅して作品を残した」と解説、東日本にその足跡は多く、「中でも福島県には5度にわたり17カ所を訪れている」と福島との縁の深さを説明した。

 夢二は1921(大正10)年には8月から年末まで県内各地を旅行し、5カ所で画会を開催。滞在期間中、知人に「日本中を歩いたが一番よい心持ちなのは加賀の金沢とここ福島です」と語ったという。

 夢二には『女十題 北方の冬』という作品があるが、鈴木氏によると「北方」は現在の福島県喜多方市のことのようである。紫のショールを被(かぶ)りマトリョーシカのような姿の女性が、寒々とした雪景色を背景に描かれている。

 夢二はアカデミックとは程遠い所にいた画家だ。25歳の頃、本格的に画家になろうと東京美術学校教授の岡田三郎助を訪ね助言を乞うたところ、「美術学校という所は君には向かない。向かないばかりでなく、せっかく君の持っている天分を壊すかも知れない」と言われ、独自の道を行くことを勧められた。独学で絵を習得し、生涯画壇に属さず自由に、時代を先取りしながら道を切り開いた。

 夢二は恋多き人生を送ったことでも有名だ。夢二と生活を共にした代表的な女性はたまき、彦乃、お葉の3人で、戸籍上の妻となったのはたまきだけである。彼女との結婚はわずか2年で破綻するが、離婚後も関係は続き同棲と別居を繰り返した。

 夢二には嫉妬深い一面があり、たまきと画学生の男性との仲を疑い、髪を掴(つか)んで引き回したり、刃傷沙汰にまで発展して、たまきとの関係は絶縁した。

 たまきと別れた後、彦乃と同棲するが、彦乃は旅先の九州で結核を発病し、父の手で連れ戻され東京の病院に入院。夢二は面会も許されず、彦乃は25歳の若さで亡くなった。

 夢二は彦乃をことのほか愛していたらしく、しばらくは立ち直れない日々が続いた。

 やがてモデルとして人気があったお葉と同棲。お葉は夢二の絵から抜け出てきたような美人だったと言われている。

 鈴木氏によると夢二には他にもたくさんの女性がいて、会津の女性にプロポーズしたり、同じく会津の東山温泉に投宿した際、「旅館の娘に言い寄ろうとしたが、婚約者がいることが分かりあきらめた」こともあったという。

 多くの女性との関係が創作活動の原動力となったであろうことは想像に難くない。夢二は生涯で絵画以外の物も含め数千点の作品を残した。お葉ともその後別れ、夢二は結核を患い信州の療養所に入院、「ありがとう」の言葉を最後に49歳でこの世を去った。

(長野康彦)

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