トップ文化新古典主義の巨匠、ダヴィッド 革命を生き抜いた 没後200年【フランス美術事情】

新古典主義の巨匠、ダヴィッド 革命を生き抜いた 没後200年【フランス美術事情】

「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」 ダヴィッド 1801年 ⒸWikimedia Commons
「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」 ダヴィッド 1801年 ⒸWikimedia Commons

具象絵画で〝権力者〟と二人三脚

 今年は、フランスでセザンヌやピサロから始まった芸術家の個性を最優先にした反古典的西洋具象絵画の登場以前、具象絵画の最高峰と言われたジャック=ルイ・ダヴィッドの没後200年になる。白馬にまたがったナポレオンは誰もが知る傑作だ。

 パリのルーヴル美術館では、同美術館所蔵作品だけでなく、ヴェルサイユ宮殿や主要国際美術館に所蔵されているダヴィッドの傑作の大半を集めた回顧展「ダヴィッド展」(2026年1月26日まで)を開催中だ。細部にわたる正確な描写、特に肖像画の質の高さは、フランス派の父と呼ばれるにふさわしい心揺さぶられるものがある。

 同じ具象画の巨匠、アングルはダヴィッドなしには語れない。1774年当時、画家の登竜門と言われたローマ賞を3度の挑戦で手にしたダヴィッドはローマ留学の機会を得た。当初、ローマの古典的絵画に反発していたダヴィッドだが、自分が美であり真実だと思っていたすべてと決別し、フランス画壇を風靡(ふうび)したロココ風の画風を受け継いだ新古典主義に向かった。

 時はフランス大革命直前だった。帰国後、晴れて王立アカデミーの正会員となったダヴィッドは、ルーヴル宮殿内に住居とアトリエを構え、弟子も取り始めた。フランス王ルイ16世からの注文を受け、順風満帆に見られた。だが、革命ですべてが変わり、1794年にはロベスピエールに共感し、一時期国民公会議長も務めた。

 革命当時、革命派に転じていたダヴィッドは、革命の首謀者の一人、ロベスピエールを支持し、フランス芸術の独裁者の地位に上り詰めたが、ロベスピエールが処刑された後、彼も幽閉された。その後、ナポレオンが皇帝に就き、ダヴィッドは復権し、1801年に有名な『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』という迫力ある肖像画を描いた。

 その後、ナポレオンの庇護を受けて、04年にはナポレオンの首席画家に任命され、ルーヴル最大級の作品『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』を献上し、不動の地位を確立したかに見えた。しかし時代は移り、ダヴィッドはナポレオンの失脚と共にブリュッセルに亡命し、帰国することなくブリュッセルで77年の生涯を閉じた。

 激動の時代の権力者たちの中で生きたダヴィッドは、多くの優れた作品を残した。しかし、その後、フランスの芸術は革命で衰退した宮廷絵画と共に、過去にない変化の波に晒(さら)され、画家は雇われ権力者や富豪に仕える職人から、自分を主張する芸術家となっていった。

 その意味で、ダヴィッドの足跡は、同じ新古典主義のアングルからロマン主義の画家ドラクロワに受け継がれたが、具象絵画の終焉(しゅうえん)でもあった。

 その後、ルノワールやゴッホに繋(つな)がっていったが、〝権力者と芸術〟の二人三脚の時代は完全に終わりを告げた。

(安部雅延)

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