トップ文化戦災と大震災を乗り越えて 建立90年の神戸ムスリムモスク【宗教思想】

戦災と大震災を乗り越えて 建立90年の神戸ムスリムモスク【宗教思想】

 神戸市中央区、北野異人館街からトアロードの坂を下った所にある日本初のモスク「神戸ムスリムモスク」が今年、建立90年を迎えた。

神戸モスクの外観
神戸モスクの外観

 神戸回教寺院、神戸モスクとも呼ばれ、昭和10年に竣工(しゅんこう)、戦災にも阪神・淡路大震災にも耐えた「ミラクルモスク」である。21歳で入信し、サウジアラビア王立大学シャリーア法学部で6年間学び、昨年8月に帰国、神戸モスク理事会で日本人初のイマーム(指導者)に選ばれた藤谷勇介さん(32)の案内で見学した。 藤谷さんは大学の看護学科で解剖学や看護学を勉強していたとき、手は意志によって動かせるが、心臓はなぜ止められないのかが疑問で、何らかの設計者、創造者がいないといけないと思ったという。そして、キリスト教、仏教、イスラームを比較研究し、キリスト教と仏教は歴史的に分裂しているが、イスラームはアラビア語でコーランを読めば間違うことはなく、聖典としての唯一性からイスラームを選んだ、と語った。 神戸でモスクの建設が計画されたのは、第1次世界大戦中、戦後に神戸に移住するムスリムが増えたことによる。具体的には昭和3年に来日したインド人貿易商が資金集めに着手した。しかし、世界恐慌による不況と、協力を申し出ていたエジプト人領事の帰国で頓挫しかけたが、インド人商人らの努力で息を吹き返した。

2024年に日本人初のイマーム(指導者)に選ばれた藤谷勇介さん
2024年に日本人初のイマーム(指導者)に選ばれた藤谷勇介さん

 総額約12万円の半分以上を1人で負担したのはJ・ B・フェローズッディーンで、ムンバイに本社があるアフメド・アブドゥル・カリム兄弟社がそれに次ぐ大口出資者になり、神戸トルコ・タタール協会や在朝鮮タタール人、在神エジプト領事、シリア商人、エジプト領事館員らも寄付した。S・A・アハメドは海外で資金集めをしている。

 施工したのは竹中工務店で、鉄筋コンクリート造のモスク本体は、地上3階、地下1階で、設計はチェコ出身の建築家ヤン・ヨセフ・スワガー。伝統的なインド・イスラム様式で、ドーム頂上にはイスラム教のシンボル、三日月が輝いている。

 昭和9年11月30日に定礎式が行われ、他都市の参加者も含めトルコ・タタール人、インド人ら340人が参集した。在日アフガニスタン国公使、在神エジプト領事、在神英国副領事、日本人トルコ学者らが出席し、日本初のモスクは海外からも関心が寄せられた。

 竣工は昭和10年7月末で、同年8月2日の金曜日に献堂式が行われた。日本をはじめインド、ロシア、ドイツ、満州、中国、トルキスタン、ジャワ、エジプト、アフガニスタン出身のムスリムが参加し、モスク委員長のインド人がモスク建立の経緯を語った後、フェローズッディーンが銀の鍵でモスクの扉を開け、「日出づる国」初の「回教寺院の開院」を宣言した。続いて、会衆が「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」と唱えながらモスクへ入り、フェローズッディーンによりミナレットの上から、アザーンが行われた後、初めての金曜礼拝が行われた。

1階にある礼拝堂
1階にある礼拝堂

 献堂式の後、近くのトーアホテル(昭和25年に焼失)で祝賀会が開かれ、約600人が出席。神戸市長はじめ在神英国副領事、エジプト領事、各国領事、外国人商工会議所代表も顔をそろえ、勝田銀次郎神戸市長は、「回教徒と日本との親交の増進を助望する」と祝辞を寄せた。地元紙は「国際港都にふさわしい颯爽たる姿」と報じた。

 タタール人少年による聖典コーランの朗唱、モスク委員長のあいさつに続いて、全インド・ムスリム連盟のミヤン・アブドゥルアズィーズ元議長が演説し、「神戸モスクの建立は日本の宗教的寛容性を象徴するものだ」と述べている。

 モスクの運営は、組織の主体はスンナ派、法学派としてハナフィー学派で、理事や監事は「スンニー・ハナフィー・ムスリム」により選任されることになった。

 神戸モスクは頑強な地下室と建築構造で昭和20年の神戸大空襲による焼失を免れ、平成7年の阪神・淡路大震災でも倒壊せず、避難民の収容施設として利用された。信者が集う神聖な祈りの場は一般公開され、隣接するイスラム文化センターと合わせイスラム文化を知る空間になっている。

(多田則明、写真も)

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