
内村鑑三がキリストの再臨運動を展開した時期に、同じような活動が欧米世界でも繰り広げられた。第1次世界大戦による精神的衝撃の大きさは過去には存在しなかったものだったからだ。
彼らは現実に起きている状況を聖書をもとに読み解こうとした。
「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起こり、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである」(マタイ福音書第24章7~8節)。「その時に起こる艱難の後、(略)人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光をもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう」(同29~30節)。
美術家たちはやがて来る終局を主題に描いた。ロシア生まれのワシリー・カンディンスキーが1910年から13年にかけてドイツで制作した作品は、ことごとく聖書の黙示録に示された主題を描いたもの。「即興」や「コンポジション」と題された連作で、モチーフはノアの洪水、戦争、復活、最後の審判など。
『共に』(1927年)というエッセーでカンディンスキーはこう記した。
「事実二十世紀の初めには〈地下〉の雷鳴は、固まった地表に穴をあけ、各所に亀裂を生じさせ、さまざまの〈カタストロフ〉を招来した。そしてそれらは今日においてもやはりあらゆる〈生〉の領域を、脅かし、揺り動かし、あるいは破滅させている」(西田秀穂・西村規矩夫共訳)
同様に画家と作品名を挙げると、ココシュカ『最後の審判』(1911年)、ルードヴィヒ・マイドナー『黙示録』(1913年)、エミール・ノルデ『兵士と戦争』(1913年)、フランツ・マルク『動物の運命』(1913年)。これらはみな終末的な危機意識を表明していた。
フランスの詩人ポール・ヴァレリーは大戦の衝撃を『精神の危機』(1919年)でこう書いた。「エラム、ニネヴェ、バビロニアは美しいが獏とした名でした。これらの世界的に完全な破滅は、その存在そのものと同様、われわれにとってほとんど意味を持つものではなかった。しかし、フランス、イギリス、ロシアもまた…。美しい名だけになるかもしれません」
この時代に世界で最もキリスト教の盛んな国として登場するのは、極東の国、韓国だった。が、国とは言えない姿で日本の植民地下に置かれていた。この悲劇的な環境は逆にキリスト教発展の原動力となり、1907年に百万人の大復興運動が起こる。
これを聞いた内村は当時「聞く、朝鮮国に著しき聖霊の降臨ありしと。願う、かつては東洋文化の中心となり、これを東洋の島国まで及ぼせし彼女が、今や再び東洋福音の中心となり、その光輝を四方に放たんことを」(『聖書之研究』1907年10月号)と感想を述べた。
それから12年後、キリスト教大復興運動の頂点を成した出来事が、1919年の「3・1独立運動」だった。これは政治的な事件として有名だが、背景にはキリスト教だけでなく天道教など宗教界全体の救世主待望運動があり、独自の歴史意識に支えられた宗教的な事件でもあった。
(増子耕一、写真も)





