
宗教と政治、そして宗教と司法との関わりでは、世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)に対する、宗教法人を管轄する文化庁(文部科学省)による宗教法人格の剥奪による解散命令請求がある。東京地裁では解散決定が出され、教団抗告による東京高裁の判断は早ければ今秋(10月)にも下されるという。
こうした宗教と政治との相克、さらには宗教と法秩序との関係を、作家・浜尾四郎の『殺された天一坊』から考えてみたい。
浜尾は検事や弁護士等を経て推理作家に転身した変わり種。その経歴からも裁判官を含む司法の在り方を視点にした内容には定評があり、大谷直人最高裁長官(当時)も新任判事補75人に対する辞令交付式(令和2年)で同作品を引用して訓示したほどだ。

一人の子供を二人の母親が親権を主張して争った調停で、痛がる子供の腕を引っ張るのを止めた方を「母親」とする――。
この「大岡政談」に出てくる裁定が拍手喝采を浴びたのはよく知られるところだ。
だが、著者の浜尾は、その負けた女が「偽り者」と世間から散々に指弾され、ついに川に身を投げた経緯を後日談として描いている。女による奉行宛ての遺書には「ほんとの母」と改めて主張した上で、こう訴えた。
<御奉行様の仰せを堅く信じた私は石に齧りついても子を引っ張らねばならぬと思ったのでございます。御奉行様は御自分でお命じになった言葉が一人の母親にどれだけの決心をさせたか御承知がないのでございます。偽ったのは御奉行様です。天下の御法です>
大谷長官としては、法の番人たる裁判官の誤審を避け判断に至った責任説明に対する重い責務を強調したものだろう。
そして本編のメインである「天一坊」である。紀州生まれの若い山伏「天一坊」が一行を引き連れて江戸に出て、時の将軍(8代吉宗)の「御落胤(ごらくいん)」と名乗りを上げた事件だ。浜尾はこの史実を取り上げ、彼らしい視点で裁判を描いた。
天一坊は吉宗お墨付きの短刀を証拠として差し出した。さらに将軍自身も「身に覚えがある」と言われては、奉行所も幕閣も粗略に扱うことができず、奉行の苦悩も深刻であった。そこでどうしたか。家来衆をはるばる紀州まで調査に派遣したが、それは事の真相を糺(ただ)すというよりも、どうにかして天一坊は偽者だという証拠を得たい、確信したいという狙いだった。
ところが、その報告が、かえって「真もの(ほんもの)」という証拠を伝えてきた時、奉行の失望、苦悩は頂点に達した。そして奉行は固い決意を持ってお調べの場に臨む。天一坊はただ父親に会いたかっただけとの真情を述べたが、「それだけの意味」では済まなかった。奉行は厳然として「天下を欺(だま)す大かたりめ」と極刑の裁定を下すのだ。
奉行はもし天一坊を「御落胤」と認めれば、彼は相当の高い位に就き大きな権力を与えられるのは必定で幕府封建体制上どれほど危険かを案じた。しかし一方で、名奉行とはいえ真実を曲げていいのか。浜尾は、奉行の家人の口を借りてこう結ぶ。
「なるほど一人の生命を奪って天下を救う事は正しいように考えられます。けれども今の御治世に御法に依らないで其の一人の生命を奪う事が出来るものでございましょうか。…御奉行様の御苦心は此処にあったのではなかったかと、私は恐れ乍ら御察し致して居るものなのでございます」
(黒木正博)





