
20世紀美術を代表する巨匠、ジョアン・ミロの大回顧展が東京上野の東京都美術館で開かれている(7月6日まで)。バルセロナのジョアン・ミロ財団の監修と協力のもと世界各地の美術館からえりすぐりの約100点を集め、初期から晩年まで約70年の画業の全貌を紹介するものだ。
1893年にスペイン・カタルーニャ州に生まれたミロは、18歳の時、画家となることを決意。画家としての修行を始めるが、当時、パリを中心にした野獣派やキュビスム(立体派)など前衛絵画の波はバルセロナにも及んでいた。
初期の作品は、そのような前衛絵画の影響を強く受ける一方で、ミロ芸術の一貫した特長である自然への愛や詩的な情感が横溢(おういつ)している。今展では、初期の作品12点が展示されているが、その白眉は油彩「ヤシの木のある家」(国立ソフィア王妃芸術センター蔵)だろう。
ミロの両親が購入したタラゴナ県モンロッチの別荘近くの農家を描いた作品で、畑の作物や庭の木々が一つ一つ丁寧に描かれている。その描きぶりは日本画に近い。植物や土、あるいは建物の壁や瓦などが見せる表情が生き生きと描かれ、田園の交響詩を奏でている。
ミロは手紙で「ひとひらの葉は、木や山と同じくらい優美だ。しかし未開の人々や日本人以外、ほとんどの人がこの神聖さに気づかない」と書いている。
モンロッチの自然、カタルーニャの大地はミロの創作の原点となった。
パリ・国立美術館蔵の「自画像」「スペインの踊子の肖像」もこの時期の作で、キュビスムの影響をうかがわせるが、やはりミロならではのもの。この作はピカソが長く所有していたという。ピカソとミロは画風も対照的だが、同じスペイン生まれということもあり、新しい芸術の開拓者として2人の友情は終生続いた。
1920年にミロは芸術の都パリに出る。そこでアンドレ・ブルトンなどシュルレアリスムの作家や詩人たちと出会う。シュルレアリスムの影響でミロ独自の絵画世界がいよいよ本格的に展開してゆく。単純化された記号的な表現もこの頃から画面に現れる。オランダ旅行で買ったヘンドリク・ソルフの「リュートを弾く人」を元に描いた「オランダの室内I」(ニューヨーク近代美術館蔵)などが描かれる。
しかし、1936年にスペイン内戦が勃発し、39年には第2次世界大戦が始まる。ミロはパリを離れ、ノルマンジー地方の小村ヴァランジュヴィル・シュル・メールに避難する。この戦争の重苦しい時期に描かれたのが、ミロの評価を決定的にしたといわれる「星座シリーズ」だ。カンバスではなく紙を用いた23点のグワッシュ(不透明水彩)のシリーズである。
今展ではそのうち「明けの明星」(ジョアン・ミロ財団蔵)など3作が展示されている。
線と色彩による記号的表現の中で、不安な時代を生きるミロと妻ピラールが過ごした一夜の雰囲気が表されているように思われる。この作はミロが妻に贈った作という。
「カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち」(フィラデルフィア美術館蔵)は、深い青で表現された夜空と、そこに浮かぶ月と星を背景に、さまざまな人や動物がうごめいている。夜の密やかで詩的な想像力を刺激する傑作だ。
ミロの新しい表現の探求は戦後も続く。展示作の最後は3連画「花火Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」(1974年、ジョアン・ミロ財団蔵)。アメリカの抽象表現主義の影響を受けた作と言われ、大きなカンバスに墨が滴り落ちている。絵画とは何か、その本質を最後まで探求した生涯を象徴する作品といえよう。
(特別編集委員・藤橋 進)