
「主再臨の嘉信は既に東京近畿及び北海道に伝へられ多くの人心に恵福が加わつた、何人も此の運動の背後に大なる聖手の働きつゝあるを疑わなかつた」
北海道から戻った翌8月、今度は軽井沢で講演することになった。この報告は内村の弟子、藤井武が記したもので「軽井沢に於ける先生」と題して『聖書之研究』(第218号)に掲載された。
この月は休養に充てるつもりだったが、「然るに主は之を許し給はず再び彼の出盧を命じ給うた」と藤井は記す。夏、外国の宣教師たちが軽井沢の避暑地に集まって来る。彼らの有志が連署して、内村の講演を要請したのだった。
内村はそれを引き受け、宣教師G・P・ピアソンの家に滞在し、24日「日本に於ける聖書教育」、25日「信仰生活の40年―基督再臨の高調」と題して話した。
会堂に集まったのは約400人の西洋人男女。ほとんどが宣教師たちだ。司会は内村の師、M・C・ハリスで、40年前に内村に洗礼を授けた牧師だ。「内村君は武士中の武士、日本人の中の日本人なり、而して主キリストの為に囚われし人なり」と紹介。
英米人が聴衆だったので英語で語り、クラーク大佐が日本での道徳教育の根本策として聖書を用い、今日まで尽きない感化を与えていると宣教の歴史を語った。
昔は儒学者が国民を感化したが、彼らの書に代わって今は聖書がその書で、その中心的真理こそキリストの再臨だと力説したのだ。
翌日は、信仰生活を振り返り、平和論を展開した。戦争は戦争を終息させるものではなく、また平和は教会活動や人類の努力で来るものではない。キリストの再臨によってのみもたらされるのだ、と論じた。
聴衆から共感の声が発せられ、講演後、ピアソンが再臨信仰を共にする者の起立を促すと、少数を除くほかは声に応じて立ち上がり、アーメン、ハレルヤが続いた。内村は心強く思ったに違いない。
25日には日本人教会で礼拝説教をした。
東京に戻ったのは26日。その滞在中、洋食を食べ、英語で会話し、英語で演説し、ボストンかフィラデルフィアに滞在しているような気持ちがしたという。
9月に入ると読書に時間を費やし、人にも会い、雑誌を発送し、聖書講演会を開くが、手紙を書くこともおろそかにしない。9日は終日それに費やした。「内国人に外国人に、学者に平人に、限りなく手紙を書かねばならぬ、然かも大なる喜びであると同時に又伝道の機会である、手紙一本葉書一枚決してゆるがせにすべからずである」
29日、寺内正毅内閣が倒れて原敬内閣が成立した。藩閥政治から政党内閣に移ったが、喜ぶほどのことではないという。「如何なる内閣が成るとも世は依然として罪の世である、暗黒の世である」と述べ、「真正の政治はキリストの再臨を待って始めて来るのである」と強調した。
(増子耕一)
(毎月一回掲載)






