トップ文化史実を伝えなかった『吾妻鏡』 源実朝の誇大妄想なのか

史実を伝えなかった『吾妻鏡』 源実朝の誇大妄想なのか

後世の虚構と捏造の編纂物

源実朝の墓所のある寿福寺の参道

「将軍家が唐ふねを作って宋の国へ御渡海なされようとしたというお噂は、ありゃ、まことのお話でござるか」

将軍家というのは鎌倉幕府3代将軍源実朝のことで、大佛(おさらぎ)次郎の小説『源実朝』の中に出てくる会話。問われた方はこう答える。

「いかにも正(しょう)じゃ。その唐ふねめはいまも名越の浜にあって、立ち朽(ぐさ)れておるわ。(略)御当代の将軍家が、正気で大海を渡って宋のくにやらへと出御遊ばされるというのじゃから前代未聞の珍事だわ」

と実朝の誇大妄想を強調している。幕府の正史『吾妻鏡』の記述をもとに創作されたが、新しい研究、藪本勝治著『吾妻鏡』(中公新書)によるとこの話は虚構の可能性が高い。

というのは実朝が宋へ使者を遣わした事実があり、船の建造者、宋の陳和卿は東大寺大仏を再建したほどの人物で、船が浮かぶかどうかの構造設計、地形調査を怠ったはずではあり得ないと推論する。

藪本氏によればこの歴史書に出てくる「以仁王の令旨による頼朝の旗揚」「頼朝に疎まれた義経の腰越状の訴え」「二代目将軍頼家の暗愚」「三代目将軍実朝の文弱」「実朝暗殺の黒幕としての北条義時」などすべて虚構で、史実ではなかったという。

『吾妻鏡』は幕府の公式記録として1300年ごろ編纂(へんさん)された。だが、後世の編纂物で、記録(日記、帳簿、書簡、公文書)という1次史料によるのではなく、大小さまざまな曲筆や虚構、偽文書、捏造(ねつぞう)が紛れ込んだ歴史物語。

編纂がなされたのは第9代執権北条貞時の時代で、貞時による得宗政権がいかに正当で絶対的なものかを裏付けるために過去の歴史像が創出されたという。

実朝に「源氏の正統は自分で絶える」と語らせている逸話は有名だ。が、主体的に幕政に取り組んでいて後鳥羽院との関係もよく不自然でつじつまが合わないという。実朝を「悪王」にするための虚構で、逆に、鎌倉から南北朝の史料では「文の力に優れた賢王」と称賛していた。

太宰治も小林秀雄も実朝を論じたが『吾妻鏡』によるもので、史実に基づいてはいなかった。実朝の残した歌の読み方も変わることだろう。

(増子耕一、写真も)

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