伊達氏発祥の地、宿場町として栄える
往時の面影を残す史跡や寺社が点在
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福島県北部に位置し、奥州街道と羽州街道の分岐点にある桑折町(こおりまち)。かつては宿場町として栄え、往時の面影を残す史跡や寺社が点在している。伊達氏発祥の地としても知られる町を散策した。
町のシンボルとなっているのは明治16(1883)年に建造された旧伊達郡役所だ。木造2階建ての擬洋風建築の建物で、屋上には塔屋(とうや)が設けられた特徴的な外観となっている。約43年間、郡行政の中心として使われた後、昭和52年、国の重要文化財に指定された。
訪れた日には歴史案内人と史跡を巡る町主催のイベント「桑折宿歴史さんぽ」が行われていて、建物内を見学した参加者たちは、当時のままの黒光りする床や洋風窓、明治7年制作の桑折村絵図などを興味深げに眺めていた。歴史案内人の女性は、「桑折宿には温泉もあり昔は銭湯も多かった。養蚕(ようさん)でも栄え、工場がたくさんあって、女工さんたちの寮もありました」と説明してくれた。

郡役所から一直線に伸びる道を1㌔ほど北上して西に折れ、伊達氏ゆかりの西山城跡へと向かう。途中の桑折町老人福祉センター「大かや園」内に城のガイダンスコーナーがあって、写真や説明書きがパネル展示してあり参考になる。その近くの観音寺というお寺が登城口となっていて、裏山を登る。細い道を進むと早春の落葉樹林を彩るカタクリの花が咲いている。カタクリの花言葉は初恋。春の訪れとともに、うつむき寄り添うように咲くその姿は、まさにその言葉にふさわしい。
10分ほど登っていくと城跡にたどり着く。まず目に入るのが大手門跡と書かれた石碑で、ここから始まる一帯が西山城跡だ。
西山城は伊達氏14代稙宗(たねむね)が地形を利用し築城した巨大な山城である。1522年陸奥国守護に任じられた稙宗は交通の要衝でもあったこの地に本拠を移し、1532年ごろ西山城を築いた。戦国時代に大名が領国を支配するために制定した分国法で有名な「塵芥集(じんかいしゅう)」はここで編集・発布された。

1542年、稙宗と嫡男15代晴宗との間で起きた父子間の争いが「天文の乱」である。稙宗が息子や娘を近隣大名に養子に出したり嫁がせることで勢力拡大を図る中、越後の上杉氏へ養子を送るという話に晴宗が強く反発したことで起こったこの内乱は、1548年将軍足利義輝の仲裁を受けて和睦が成立。稙宗が隠居して晴宗に家督を譲るということになった。稙宗は丸森城(宮城県)、晴宗は米沢城(山形県)に移動。和睦の条件として西山城は破却され、わずか16年という短い使命を終えた。
そもそも伊達氏とこの地の縁は鎌倉時代にさかのぼる。初代朝宗(ともむね)は頼朝率いる鎌倉軍と奥州藤原氏の平泉軍との戦いで功績を上げたことで頼朝から伊達郡の地頭に任じられたと伝えられ、この地が伊達氏発祥の地と言われるゆえんとなっている。
山を降りて、奥州・羽州街道分岐点の追分を訪ねる。ここは江戸時代から現存する道標のほかに、東屋(あずまや)も整備され当時の雰囲気が再現されている。右に行けば仙台へと続く奥州街道。左は出羽国へと向かう羽州街道。旅人で賑(にぎ)わったであろうこの地も、今は車が時折通り過ぎるだけである。
(長野康彦)






