偉大な業績を軽やかに
子規との葛藤、小説作品も詳しく

正岡子規の衣鉢を受け継いで写生俳句を大成し、俳誌「ホトトギス」を通じ俳句の大衆化に大きな業績を残した高浜虚子。その人生を子規研究家で俳人、エッセイストの坪内稔典氏が軽やかに描いた。
本書を収める<ミネルヴァ日本評伝選>は、例えば小堀桂一郎氏の『森鷗外』のように重厚な風格の文体のものからさまざまあり、それがこのシリーズの特長でもある。そういう中でも本書の文体は、エッセー風で、評伝としてはやや異色。しかし坪内流が貫かれていて気持ちよく読めた。
高浜虚子の文芸との関わりは子規との出会いから始まる。本書では、その関係を丹念にたどっている。例えば子規が虚子に自分の後継を託そうとしたのを虚子が断ったいわゆる「道灌山の決裂」について、「虚子が作った伝説に近い、とボクは思っている」という。理由は、子規がこの事を限られた友人にしか語っておらず、その後も何かと虚子を後押ししたから。
虚子の『俳句入門』と子規の『俳諧大要』を比較しながら、虚子の俳句作法、写生などが子規の考えの核を受け継いできたことを確認。しかし子規が題詠を好んだのに対し虚子は実際の写生に重きを置くことで「子規離れをはかった」という。このように「子規居士は子規居士さ。……僕は僕さ」と子規からの自立にもがきつつ、虚子がその才能を発揮する道を切り開いていくさまが描かれている。
本書で力点が置かれているのが、小説家としての虚子の業績だ。小説を書くために大学を中退するほどの情熱を持ち、明治40年から大正6年の約10年間は小説を書くことに力を注いだ。戦後も「虹」を発表する。
本書の副題「余は平凡が好きだ」は、「百八の鐘」という虚子の随筆の「余は平凡が好きだ。余は世間並が好きだ。大三十日に夜更かしをするといふ事の中には余に取つて悠遠なる趣味がある」からとられたもの。これは虚子の人生観であると同時に、俳句観、文芸観を示すものでもある。
そこから「ホトトギス」編集の「天才ある一人も来(きた)れ、天才なき九百九十人も来れ」という姿勢が生まれてくる。寄せられる膨大な投句を営々と選句し続けた一見平凡な歩みが偉大な業績を生んだのだ。
(特別編集委員・藤橋進)





