スイスで出会った革命家たち
知られていない民衆の生活

ロシアの思想家ゲルツェン(1812~70年)一家が、祖国ロシアを後にしたのは1847年1月。3月下旬にはフランスのパリに着き、モスクワ時代の旧友たちと再会した。その後、イタリアを旅して翌年パリに戻ったが、臨時政府によって民衆が弾圧される「六月事件」を目撃して驚愕(きょうがく)し、西欧文明への幻想は消えてしまう。
そして50年9月、ロシア政府から帰国命令を受けたが拒否し、12月国外永久追放処分を受ける。ゲルツェンはロシア近代史上、最初の政治的亡命者だった。現在、その著書『過去と思索』(岩波文庫)が刊行中で、4冊目で語られるのがフランス、イタリア、スイスでの体験だ。
この時代、西欧で革命運動が相次いで起こり、身分制社会が崩壊していく。ゲルツェンはそれを目の当たりにした。スイスには各国の亡命者らが集まってきて、彼らと交流し、民族性を観察する。
密(ひそ)かな敵意を持って祖国を去った人々について、「亡命者たちは、いずれも苦しい真実を見ないように目を塞いで、沈滞した思い出や実現することのない希望からなる、幻想的で閉鎖的な環境にますます慣れてしまう」と語り、国を失った流浪の民、ユダヤ人との類似点を挙げる。
またそれぞれの民族性を対比し、「イタリアの町人階級の歴史は、フランスやイギリスのブルジョアジーの発達とは、全く異なっている。封建貴族と一度ならず幸運な競争をした〈脂ぎった人民〉の子孫である富裕な町人たちは、都市の主権者であり、従って他の国の急速に成り上がった賤民たちと違って、平民やコンタディーノ(農民)から遠ざかることなく、かえってこれに近づいた」。
「ドイツの革命家は並外れたコスモポリタンであって、〈民族主義の観点を克服している〉が、それでいて、いずれも怒りっぽい頑固な愛国主義者である」
「フランス人は精神的に自由ではない。彼らは活動を指導する力においては豊かであるが、思考においては貧しい」と語り、軍隊や裁判の事例を挙げる。
スイスとイギリスは二つとも「中世的共和国」で、何世紀にもわたる風習によって大地に根を生やしていた、と論評する。
西洋で暮らしてみて悟ったことがある。過去に知られていたのは「ヨーロッパの教養ある上層だけで、その下にある民衆の生活はヨーロッパ自体においてもあまり知られていない法則によって築かれたもの」。この部分は掘り起こされていないという。
結論はこうだ。「われわれは西欧の人びとが、概して、われわれの理解とは異なったものであり、われわれが理解していたところよりも、遥かに劣ったものであることを知って驚く」。
騎士の勇敢さ、貴族的風習の優雅さ、新教徒の厳格な礼儀、英国人の誇り高い独立心、イタリアの芸術家の華麗な生活、百科全書派の輝かしい知性―これらはすべて別の支配的風習、プチブル的風習の総和に溶解し変質したという。「今日のヨーロッパ的なるもののすべての中には、明らかに商店の売り場から出たと思われる、二つの特徴が深々と横たわっている。一つは偽善と秘密主義であり、もうひとつは陳列と〈外観〉である」。
近代的制度が最も発達したところ、富んだところ、工業化しているところほど、重苦しく耐えがたい生活になっていると述べ、貧しい農村的スイスが心安らかに住むことができる西洋でただ一つの片隅と思いを語る。
すでに西欧文明は役割を終え、次の舞台は広大な空間を持つアメリカかロシアだと考察する。
(増子耕一)