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福島市 歌枕の地・文知摺観音を訪ねて

石に残された悲恋伝説

信夫文知摺石

松尾芭蕉も句を詠む

福島市内を南北に走る奥州街道(国道4号)を相馬街道(115号)へ東に折れ、少し行ったところに史跡名勝の地、文知摺観音(もちずりかんのん)がある。

この地は古くから信達(信夫・伊達郡)三十三観音第2番札所の霊地として、また、和歌・俳諧に詠まれた文知摺石を巡る伝説の地として有名だ。

石の伝説とは次のようなものである。

9世紀中頃、陸奥国と出羽国の按察使(あぜち)となった河原左大臣源融(みなもとのとおる)が、夕暮れ時にこの地に来て道が分からず困っていたところ、助けてくれた村の長者の娘虎女の美しさに心を奪われ恋に落ちた。2人の情愛は深まり、融の滞在は1カ月余りにも及んだ。

やがて、融のもとに帰京を促す手紙が届き、融はその時はじめて身分を明かし、再会を約束して都に帰っていった。融との再会を待ちわびた虎女は文知摺観音に百日参りの願をかけたが、満願の日になっても都からは何の便りも来ない。

県指定重要文化財の多宝塔

嘆き悲しむ虎女がふと見ると、文知摺石の面に融の面影が浮かんで見えた。懐かしさのあまり駆け寄ると一瞬にして消えてしまった。

その後虎女は病にかかり、死の床についてしまう。その虎女に使いの手で届いたのが「みちのくのしのぶもちずり誰ゆえにみだれ染めにし我ならなくに」という融の歌であった。

文知摺石はその後、恋しい人の顏を映し出す「鏡石」といわれるようになったと伝えられている。

ちなみに「文知摺」とは模様のある石の上に布を当て、忍草をすり込んで緑色に染める古来の染めの技法。よじれたような複雑な模様が恋心の乱れに通じるとして、「しのぶもちずり」は恋の歌の歌枕になっていった。

この地を訪ねた松尾芭蕉は「おくのほそ道」で、「早苗とる手もとや昔しのぶずり」の句を残している。稲の苗を扱う早乙女たちの手もとに、昔の乙女たちの手さばきを見てしのんだ。

現在、曹洞宗寺院・普門院となっている境内には句碑も多く、正岡子規の「涼しさの昔をかたれしのぶ摺」の句碑や、高浜虚子の「思ひ出て信夫文字摺春の草」などの句碑が立っている。

境内にある文知摺観音堂は、宝永3(1706)年建立と伝えられ、行基作といわれる秘仏観音像は33年に一度開帳される。次回は2049年に行われる予定となっている。

県指定重要文化財の多宝塔は江戸時代、文化9(1812)年に作られたもので、円形の塔身に方形の屋根を設け、その上に相輪(そうりん)を乗せたもの。極彩色に彩られており、初層の正面には唐破風(からはふ)がつけられている。

多宝塔は畿内には多いが、関東以北には10棟ほどしかなく、東北唯一のものとして珍重されている。その他、木々に囲まれた境内には史蹟が点在し、信夫の地の歴史に触れる良い場所となっている。

(長野康彦)

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