トップ文化スタインベック著『チャーリーとの旅』 旅行記で描いた相棒の名犬

スタインベック著『チャーリーとの旅』 旅行記で描いた相棒の名犬

人の言葉に耳を傾ける旅

誰もが固有の言語を持つ

『チャーリーとの旅』の大前正臣訳(弘文堂、左)と青山南訳(岩波文庫)

米国の作家ジョン・スタインベックの旅行記『チャーリーとの旅』(岩波書店)が青山南氏の新しい翻訳で刊行された。これは作者が長い期間この国を肌身で感じてこなかったために、記憶がいびつになってしまったと自覚し、米国を一周する計画を立て、1960年の秋から冬にかけて実行した3カ月の記録だ。

すでに大前正臣氏の名訳が出されていて、比較してみた。第1部の冒頭、大前訳。「子供のころ、たまらなくどこかへ出かけたくなると、大人は私に『大きくなれば、そんなにむずむずしなくなるよ』といったものである」。

次は青山訳。「とても若くて、どこかへ行きたいというジリジリした想いにつかまえられていた頃、おとなたちから、おとなになればそんなうずきはおさまるもんだ、と説得された」。

同じ原文で印象もほぼ同じなのに、言葉が違う。翻訳は原文の与える感銘を別の言語に置き換えることだが、2人の訳文を比べると、人というのは、顔が違うのと同様に、それぞれ固有の言語を持っているということに気付かされる。

この点、スタインベックは極めて敏感だった。「わたしの旅の目的のひとつは、耳を傾けることだった」と記し、「ひとの話を聞き、アクセントを、話のリズムを、話に潜んでいるものを、話の語勢を聴きとることだった」。

スタインベックはかつて言葉を聞くだけで出身地を言い当てることができたが、ラジオとテレビが言葉の地方性を壊したことで、今は難しいと時代の変化を語る。

ところで青山氏は「訳者あとがき」で、スタインベックが大変な愛犬家だったということを記し、愛犬遍歴を紹介している。

チャーリーはこの旅行に同行した老犬で、フランス生まれのフランス育ちで、大柄のプードル。彼がいなかったならば、この旅行は成り立たなかっただろうと思われる重要な存在で、この旅を心豊かなものにしている。

「チャーリーは生まれながらの外交家である。喧嘩よりも交渉を好むが、それも当然で、喧嘩はすこぶる下手だ」「しかし、優秀な番犬である―ライオンのように吼えて、夜中に徘徊する人物には、自分は紙人形を噛み切ることすらできないことを上手に隠している」。良き友、良き旅の相棒だった。

スタインベックはまた、取材方法をさりげなく披露しているが、ここでもチャーリーは大活躍をする。見知らぬ人たちとの間の懸け橋になってくれるからだ。道中、多くの会話は、「こいつ、犬種は?」で始まった。

メーン州で、フランス系カナダ人たちが家族ぐるみでジャガイモの収穫をしているところを訪ねた。チャーリーは大使となり、夕食を用意している一団に近づき、あいさつする。主人は大使が任務を果たすのを待って野営地に近づいていく。

スタインベックは老犬の言葉を理解し、老犬もまた自分の言葉でスタインベックに語り掛ける。すべては以心伝心。犬も主人に助言したり、批判したり、情で示す。だが数の計算も運転もできない。

チャーリーを作り上げたのはマナーとグルーミングだった。「チャーリーの櫛がとおったスラリとした脚は高貴なものだった、銀色にかがやく青い毛の頭頂部は粋なものだった、尻尾のポンポンはさながらバンドマスターの指揮棒だった」と絶賛する。

だが旅の後半、チャーリーは老人と同様、前立腺炎で苦しみ、相棒は医師を必死になって探すのだった。

(増子耕一)

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