トップ文化若狭と奈良を結ぶ/東大寺二月堂の「お水取り」

若狭と奈良を結ぶ/東大寺二月堂の「お水取り」

壮大な古代東アジアの交流

かつての若狭の国と古都・奈良を結ぶ不思議な“地下水脈”がある。東大寺二月堂の「お水取り」の聖水が、若狭を流れる遠敷(おにゅう)川の「鵜の瀬」から送られるという伝承だ。

送水は例年3月2日午後9時前に始まる。川の流域の「鵜の瀬公園」の対岸の岩場に、松明(たいまつ)をかざした白装束の一団が集結する。一見すると、神秘的な雰囲気が漂う。一団は2㌔ほど下流の若狭神宮寺の住職や山伏姿の僧らで、経文を唱えながら、同寺の由緒ある井戸から汲(く)んだお香水(こうずい)を流れの淵に注ぐ。

お香水は10日かけて地下を流れ、同月12日夜、二月堂の若狭井から汲み上げられ、本尊に供えられるという。1日から14日間続く「お水取り」の行事の中でも、最も重要な儀式とされている。「お水取り」は、大仏開眼の天平勝宝4(752)年から毎年続いており、1270年以上にもなる。

鵜の瀬の「お水送り」は40年ほど前、地元小浜市が観光目的に始めたが、平安時代に記録された東大寺の寺誌には、当初から若狭の水が供えられたとある。さらに興味深いのは、「お水取り」を始めたのは、若狭神宮寺で修行を積んだインドの渡来僧・実忠(じっちゅう)とされ、その師で、東大寺開祖の良弁僧正は、鵜の瀬近くの出身との説だ。「お水送り」伝承の背景には、壮大な古代東アジア交流が息づいていそうだ。

(文・日下一彦)

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