トップ文化来年9月、山城サミット開催 石川県白山市の国史跡鳥越城

来年9月、山城サミット開催 石川県白山市の国史跡鳥越城

織田信長軍と一向宗門徒との激戦跡

鳥越城、復元された石垣と門(Wikipediaより)

石川県白山市の国史跡鳥越城跡を会場に、来年9月、「山城サミット」が開催される。鳥越城は中世の山城で、織田信長軍と一向宗門徒たちの最後の激戦の跡が刻まれている。白山市三坂町(旧石川郡鳥越村)に位置し、大日川を挟んだ対岸に位置する二曲城(ふとげじょう)と共に国の史跡に指定されている。

国土地理院の空中写真で見ると、一級河川の手取川と大日川の合流点に位置し、丘陵先端部を巧みに利用して築かれている。標高は主郭部で312㍍あり、そこから霊峰白山はじめ周辺の山並みが遠望でき、まさに天然の要害で、地の利を生かして門徒たちの一大拠点が形成されたことがよく分かる。

歴史をみると、白山麓山内惣庄の旗本鈴木出羽守を城主とし、天正初(1573)年頃、織田信長による加賀一向一揆討滅の経路がはかられる中で、門徒集団(山内衆)の抵抗の拠点として築城された。城域は東西400㍍、南北1200㍍におよび、頂上を中心とした7カ所の主要な郭で構成されている。郭は本丸・二の丸・三の丸・後二の丸・後三の丸などと名付けられ、空堀や土塁を挟んで尾根筋を巧みに利用して配置され、それを腰郭(こしぐるわ)が囲んでいる。

攻防史をみると、織田軍との戦いは凄惨(せいさん)を極めた。天正10年3月1日、織田方の佐久間盛政によって鎮圧され、三百余人が磔(はりつけ)に処せられた。その惨劇の模様は代々語り継がれてきた。現在、史跡公園として整備され、発掘調査をもとに門や石垣が復元されている。同サミットは25年9月14日と15日の2日間開催される。

(日下一彦)

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